第49回SciREXセミナー科学技術外交の近年の動向と今後の課題
科学技術・イノベーション政策のsecuritisationを踏まえて
科学技術外交に研究者はどう関わるか
続いて、科学技術外交の実践⽅法や担い⼿についてテーマが移ります。まず浅野⽒が、⽇本の科学技術外交の課題の1つとして「政府間での協⼒の難しい国とどうつきあうか」という点を指摘。「⽶国は政府がうまくアクセスできない国とどう関係を構築しているのか」との質問を岡村⽒に投げかけました。岡村⽒は、AAASをはじめ連邦政府外で独⾃のチャンネルと影響⼒をもつアクターの存在に⾔及し、そうした主体がアカデミアの価値観と⾏動原理を伴って幅広い国々との間で橋渡しを⾏っている実態を紹介しました。そのうえで、「科学技術外交のランドスケープとは決して政府間の外交活動に閉じるものではなく、様々なアクターの織りなす国家間、そしてアカデミア内外の活動によって形成されているもの」と説明。加えて、そのような様々な主体の関わるものであればこそ、「実効性の伴うアクションにつなげていくうえでは、何らかの特定の⽂脈や具体的な分野に落とし込んで議論しないと要領を得ないものとなるだろう」と指摘します。また、科学技術外交の意義や価値を問い直す昨年来の機運については、「アカデミアと政策界隈の結節点のような領域やコミュニティから盛り上がっている印象」とコメントしました。
議論は、科学技術外交における研究者の役割へ展開しました。有本⽒は、⽶国では科学技術外交の実践家(practitioner)をトップクラスの研究者(scientist)が務める例が多いこと、そしてそのような⼈材を輩出するキャリアパスの存在を指摘。⽇本においても、両⽅をこなすことができる⼈材のもとで科学技術外交の実践例を積み重ねる重要性を強調しました。
関連して岩渕⽒は、研究者の科学技術外交へのコミットの⽅法として、⼤統領の直下に科学技術顧問がおかれている韓国の事例を紹介。岩渕⽒のソウル駐在中には、科学技術顧問が韓国と北朝鮮の間の協⼒に関わることもあったといいます。このように、政府が前⾯で実施するのが難しい取り組みを研究者を通じて進めることも考えられます。
ここでオンラインの参加者から「国家のセキュリティに関連して、広がりのある安全保障と科学技術はどうやって組み合わさることができるか。またその際になにが必要か」という質問が出されました。これに対して浅野⽒は、歴史的な背景からアカデミアにおける安全保障や防衛に対する抵抗感が⽐較的強い⽇本で議論を進めるために、より広い領域をカバーする「経済安全保障」という⽤語が⽣まれ欧⽶が追随した、とする⽶国の論考に⾔及。科学技術が経済安全保障に組み合わさる可能性を指摘しました。
続けて岡村⽒は、フランスの⽣化学者ルイ・パスツールに由来するとされる『科学に国境はないが、科学者には祖国がある』という⾔葉を紹介。当時こうした視点がもたらされた時代背景には、いまでいう国家安全保障上の⽂脈があったといいます。岡村⽒は、科学技術の価値やそれを取り巻く外交の意義は、パスツールの時代から⼆度の世界⼤戦、冷戦を経た現在に⾄っても本質的に変わっていない部分があるとしたうえで「複雑な歴史的背景や利害が絡むのは常だが、それでも世界があるべき⽅向に歩みを進めていけるよう、各国の政策に関わる者がアカデミアとも価値観を持ち寄り、互いに共感し、⼤きな時間軸を伴って俯瞰的な視点で協働していくことが重要」と述べ、科学技術外交の意義もそこに⾒つかるとしました。
総括として有本⽒は、トランプ政権発⾜直後のAAASの年次総会(2016年2⽉)において、1997年に同協会の会⻑を務めたジェーン・レプチェンコ⽒による「政権を批判する前に、今こそ、科学コミュニティのなかで、科学者は⾃分たちが何者か、また科学はどう世の中に貢献するのかを考えなければならない」という趣旨の⾔葉を紹介。現代の科学者の役割が知識の⽣産だけでなく価値創造にもあると指摘し、そのための幅広い知⾒が科学技術外交にも活きてくると展望してセミナーを締めくくりました。
宇宙フロンティアを切り拓く⽇本の技術⼒と
Tech Diplomacy
本年4月、盛山文部科学大臣とネルソンNASA(アメリカ航空宇宙局)長官との間で、今後の宇宙政策上重要な方向付けを与える実施取決めが署名されたことをご存じの方も多いでしょう。本実施取決めでは、日本は月面活動で使用される「有人与圧ローバ」を提供する役割を担うこととされています。有人与圧ローバとは、月面上の広い範囲を長期間にわたり探査可能な移動手段でありつつ、宇宙飛行士にとっての居住空間ともなる特別なモビリティで、日本のJAXAと民間企業が共同開発しているものです。
この有人与圧ローバは、米国が国際宇宙ステーション(ISS)に続く大規模な国際宇宙探査として主導する「アルテミス計画」においても欠かせないキー・テクノロジーと位置付けられており、署名会見の場でネルソン長官は、「米国はもはや単独で月を歩くことはない。この新しいローバによって、我々は月面で画期的な発見をし、人類に恩恵をもたらし、アルテミス世代にインスピレーションを与えるだろう」と期待を語っています。
本実施取決めでは、日本に対して、日本人宇宙飛行士による2回の月面着陸機会を提供することもあわせて決まりました。これは有人与圧ローバ開発を通じた日本の技術的貢献に対する相応の評価とみることができます。この署名に先立っては、岸田首相とバイデン米大統領との間で日米首脳会談が行われましたが、その共同声明では「日本人が月面に着陸する初の非米国人になる」との共通目標も発表されています。
こうした顕著な宇宙外交成果の背景には、外務省や文部科学省、JAXA、民間企業など、多くの関係者からなる複層的な調整・交渉プロセスと様々な技術的・政策的チャレンジ、そして各レイヤーでの努力があったことが窺えます。その前提となったのは、これまでに日本がISSの実験棟「きぼう」やISSへの物資補給機「こうのとり」等を通じて示してきた高い宇宙技術力であり、日本人宇宙飛行士の歴代のISS船長としての貢献であり、これらの実績を通じて米国との間で長年にわたって培ってきた信頼関係でした。先般の日米共同声明やそのもとで署名された実施取決めは、そうした特別な信頼関係に裏打ちされた外交努力が大きな政治舞台での長期的コミットメントにつながった、Tech Diplomacyの好事例といえるでしょう。