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  4. 第44回SciREXセミナー「生物学的な視座を加えた「総合知」で日本の子育て支援政策を再考する」

第44回SciREXセミナー 生物学的な視座を加えた「総合知」で
日本の子育て支援政策を再考する

~子どもへの虐待を防ぐ科学的なエビデンスを活かした
養育者支援政策への提言~

虐待のリスク要因排除に向けた
バイオロジカリー・コレクトに基づく
支援策への展望

ディスカッションの冒頭、「今日は政策と科学的妥当性との関係性はどうあるべきか議論し、深めたい」と酒井氏は発しました。伴走型相談支援や経済的支援(10万円相当の出産・子育て応援交付金)などの策定に従事してきた自身の経験、黒田氏の話題提供・提言を踏まえた上での全体へのメッセージです。現状の少子化対策では、複合的に絡み合うそれぞれの要因に各省庁が個別に対策しているものの、2023年4月の子ども家庭庁創設によって子供や家庭にまつわる行政分野が1つの庁にまとまることの補足もありました。

酒井 吉彦氏

モデレーターの黒河氏は、黒田氏に3つの質問を投げかけました。日本の対少子化政策は、子育てと子供の発達に関する生物学・行動科学的な妥当性を欠いた形で立案・実施されているのではないかという黒田氏の強い問題意識について、①「バイオロジカリー・コレクト」という言葉で表現された意図、②どのような経験からこの問題意識を持ったか、③子供や家庭・家族支援に関わるさまざまな政策との間でどのような衝突があるかを問うものです。

黒田氏は、具体例として三世代同居の住居建設に対する補助金支給政策を挙げ、「実際に三世代同居する子育て世代は減っている中で、なぜこの政策を立案したのか?当事者の事情を十分に考慮したのか?」と疑問を呈しました。また、女性活躍への政策についても「働きたい人が場を得る、登用されることは重要。しかし、結婚・出産というプロセスでは子は親と生活する時間が必要。哺乳類としての特性を考慮した枠組みではない点にコンフリクトがある」とし、このような政策立案に感じた疑問を起点に、「バイオロジカリー・コレクト」を考えたと説明しました。これに対して酒井氏は、当事者の方々がどんな思いを持って生活をしているのかへの理解不足に対する指摘には理解を示しながらも、今の社会構造や働き方をある程度前提にして、負担の軽減や子育てとの両立を目指す必要があることに言及します。科学的に不自然だと理解していても、ゼロベースで仕組みを変えることは困難であり、労働時間や経済的な面といったコントロール可能な要素を検討し、いかに妥当な形で制度を再設計するかを指向したコメントです。

次に黒河氏は、社会の発展に合わせて作られるさまざまな制度や社会環境・慣習と、生物学的な本来の姿との齟齬が露呈している中、なぜ政策は生物学的な妥当性を考慮しないのかを問いました。黒田氏が究極的な原因として挙げたのは、限られた予算を取り合いながらできるだけ低コストで効果的な政策立案をしたいという行政側の考えです。「生物として無理なことを強いてもできない。その結果として養育者に起こることが、最終的に次世代へのしわ寄せとなる」とし、例えば労働や子育てできる時間を計算して、これに合う制度の検討を提案しました。政策側に立つ酒井氏は、予算や人員といった政策を動かすリソースの不足が大きな制約となっている点に同意した上で、複合的な要因が絡み合い、多様な考えをもつステークホルダーが集まる少子化対策では、科学的根拠に基づく合意形成が一筋縄ではいかないという考えを示しました。黒田氏は、生物学的な妥当性は数あるエビデンスの1つであることを強調し、政策が効果を上げられていない時には一度立ち止まって、生物としての人間にどこか無理が生じていないか、少し引いた視点から考えるのはどうかと提案しました。

多様な子育てのニーズに、
いかに科学的なエビデンスを活かしていくか

議論の中で酒井氏は、「各省庁が行う少子化対策それぞれのゴールをどこに設定し、どの知見を用いて、どのように総合的評価を行えばいいのか。また、こと孤立子育てを防ぐためには、どのような生物学的なエビデンスを組み込めば良いか」と質問しました。黒田氏は、前者について、解決に関わる法体系が別々であることが問題だと指摘します。現状では子供への虐待における関係法令が複数にまたがるため、法律を1つにすること、他国の行政制度を学ぶことなどを提案しました。後者については、「困っている養育者ほど援助を希求できない」という行動特性を挙げ、受益者側の事情を考慮した給付となるようアウトリーチ型の支援を要望しました。

誰もが関わるテーマであるだけに参加者からも多くの質問が挙がります。例えば、「生物学的な知見を用いて人が意思決定する際の環境をデザインすることで、自発的な行動変容を促せるか」という質問に対して、黒田氏は「行動を誘導する必要はない」とし、これまで生き残ってきた哺乳類本来の姿である子を持ち育てることに必要な安心感を、今の社会は提供できていなのではないかと返しました。この他にも、各省庁が保有するデータの連携や利活用に関する質問などが寄せられ、登壇者はそれぞれの立場から意見を述べました。

最後に、黒河氏は2名の登壇者に総合知に基づく取り組みに関する質問をしました。黒田氏は、子育てをしながら働く中で日本の政策立案に思うところがあったことが自身の取り組みのきっかけだったといいます。また、困難を抱えた家族に接する機会も多く、特に未来を担っている子供の声をいろいろな観点から拾い上げ、その中で自身は生物学的な視点から代弁したいと思っていること明かしました。酒井氏は「哺乳類としての人間の行動を信じることで広がる政策的な可能性も、当たり前のようでなかなか気が付きにくかったが、実は生物学的なエビデンスに支えられているという新しい発見があった。総合知に基づく取り組みには難しさもあるが、今後はそういったところにも目を向けていきたい」と述べました。

黒河氏は、発表とパネルディスカッションを通じて、政策形成に生物学・行動科学の知見を取り入れるというアプローチの意義とその難しさが浮かび上がり、SciREX事業やエビデンスに基づく政策形成のあり方に大きな示唆を得たと締めくくりました。

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