第44回SciREXセミナー
生物学的な視座を加えた「総合知」で
日本の子育て支援政策を再考する
~子どもへの虐待を防ぐ科学的なエビデンスを活かした
養育者支援政策への提言~
2023年2月22日、第44回SciREXセミナー「子ども虐待を防ぐ養育者支援 ~生物学・行動科学的エビデンスからの提言~」をZoomウェビナーで開催しました。JST-RISTEXのプロジェクト「家族を支援し少子化に対応する社会システム構築のための科学的根拠に基づく政策提言」の成果を基に、養育者支援の観点から日本の対少子化政策の在り方について考えた90分の回です。
前半は、生物学・行動科学の知見から親子関係の問題を解き明かそうと研究を進める黒田 公美 氏からの話題提供、後半はモデレーターの黒河 昭雄 氏、ディスカッサントの酒井 吉彦 氏も交えて、養育者支援の観点から日本の対少子化政策の在り方について議論しました。
登壇者
スピーカー
国立研究開発法人理化学研究所
脳神経科学研究センター
親和性社会行動研究チーム チームリーダー
黒田 公美(くろだ くみ)
ディスカッサント
厚生労働省 子ども家庭局
総務課少子化総合対策室(併)
子育て支援課 室長補佐
酒井 吉彦(さかい よしひこ)
モデレーター
神奈川県⽴保健福祉⼤学
イノベーション政策研究センター研究員
(シニアマネージャー)/
JST-RISTEX「科学技術イノベーション政策のための
科学研究開発プログラム」研究推進委員
黒河 昭雄(くろかわ あきお)
哺乳類の親子関係の特質や
科学的なデータから、養育者が抱える
育児困難要因を紐解く
黒田氏は、2018年度から2022年度まで実施された同プロジェクトの研究代者です。生物学の立場から、今ある行政や法制度、子育てや子の成長を支援するシステムが十分妥当なものになっているかという問題意識の元、子供への虐待を防ぐ家族政策と少子化対策について調査・研究を行ったといいます。今回、特に子供への虐待を防ぐ養育者支援に重点を置いてお話しいただきました。
赤ちゃんは泣くことで親や大人の助けを求めます。その繰り返しの中で、自信と自尊心を身につけると同時に、助けてくれる他者を尊重することも学ぶのです。虐待などで安心して暮らせない養育環境にあった子供は、この「基本的信頼」を抱きにくく、適切な援助を他者に求められなくなる、大人になった時に虐待や配偶者等への暴力(DV)を繰り返すといった傾向が強まるといいます。家族という枠を超えて社会の安全や労働生産性にも影響する問題です。黒田氏は、一例として、法務省による受刑者調査の結果から、不安定な養育環境や被虐待が鑑別所入所のリスクを高めていること、受刑者の低学歴化につながっていることを示しました。
また、哺乳類の子には本能的に特定の養育者との関わりを維持しようと愛着行動を取る特徴も知られています。施設の集団での育児や、デジタル技術を介した親との触れ合いに頼りきる養育の効率化には、生物として適応しづらいのです。黒田氏は、子供の成育の全体像を理解して家庭を支援するには「総合知」が必要で、生物学的な知見はその1つだと考えています。「子供は親の気持ちに非常に敏感。親が不幸なまま、子供だけが幸せになることはできない」とし、「子供の健康な心身の発育や社会性の発達には親への生活支援が必要で、それが次の社会の豊かさや安心につながる」と述べました。
他の哺乳動物でも養育放棄や子を殺してしまう行為は見られ、特に霊長類では社会的な孤立や自分自身が虐待を受けるなど、成育環境が不適切な場合に起こり易いといいます。脳の障害によって、子への攻撃性が出ることもあります。こうした要因が人間での虐待発生につながっているのか、黒田氏は行動神経科学の枠組みから検証しました。児童虐待刑事事件で受刑した加害養育者・男女計38名に対して、「子育て時の環境」「小児期逆境体験」「神経生物学的要因」に関する400問以上の質問を行い、回答を分析した形です。その結果、養育困難に最も強く影響していた要因は、子育てを手伝ってくれる人がいない「孤立子育て」だと分かりました。また、子供との非血縁関係や自分自身がDV被害を受けるなど複数の養育困難要因が重なると、重度の児童虐待に至る率を高めていました。低学歴化の傾向も見られ、「本人の能力が活かされず学歴を伸ばせないことが就労や貧困、生きづらさなどにつながり、さらにリスク要因の重複を引き起こす」と考察しています。児童虐待を防ぐには、育児を孤立させない養育者支援と、就学支援など早い段階から要因の重複を防ぐ取り組みが効果的だと提言しました。
続いては、一般家庭の育児困難の要因についてです。子供を持つことの負担コストは、大きく分けて、育児を含めた総労働時間と経済的な負担にあること、日本人の総労働時間の長さの平均はほぼ世界最高であることなど、さまざまな要因が既存の調査で明らかになっています。黒田氏は、中央大学の阿部正浩教授の協力を得て、『日本家計パネル』を用いた検証を行いました。この結果、育児に手間や時間がかかる6歳未満の子がいる場合、養育者の1日の余暇時間は1時間以下になること、総労働時間が長いほど幸せ感が減って家事の負担感が増えること、総労働時間が変わらずとも配偶者の協力があれば幸せ感が上昇することなどが明らかになりました。第1子出産によって、支出増だけでなく女性の収入が60%以上減る「チャイルドペナルティ」も発生しています。国際的に見ても労働時間と経済的な面で負担が大きい日本の子育てに、政策支援が不足していると指摘しました。
まとめとして黒田氏が最も強調したのは、親に負担がかかると必ず子にしわ寄せが来るという事実への理解です。親の負担過剰、こと労働時間や経済的な負担を減らすことで子育て環境が良くなり、最終的には少子化も改善しうるとし、その伸び代は国際的に高いはずだと訴えました。出産・育児という生物学的営み(無償労働)は、負荷が大きくなると公害や資源枯渇を招く環境と経済システムとの関係に似ているとし、「バイオロジカリー・コレクト(生物学的な妥当性)」を踏まえて政策立案することを期待したいと、発表を終えました。
虐待のリスク要因排除に向けた
バイオロジカリー・コレクトに基づく
支援策への展望