2025年度 第5回SciREXオープンフォーラム「科学技術イノベーション政策における
『政策のための科学』」推進事業
(SciREX事業)の挑戦と成果
特別講演「計算社会科学を基盤とした政策科学の新展開」
登壇者
パネリスト
坂田一郎氏
(東京大学工学系研究科教授・総長特別参与)
特別講演では、東京大学 工学系研究科教授・未来ビジョン研究センター副センター長の坂田一郎氏が登壇し、「計算社会科学を基盤とした政策科学の新展開」と題してレクチャーを行いました。坂田氏は、東京大学経済学部を卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。経済産業政策局・政策企画官などを歴任後、東京大学に着任し現在に至っています。
冒頭、坂田氏は経済産業省での勤務時代について「当時省内でも『政策のための科学』の必要性は叫ばれていたが、実際の動きにはつながっていなかった」と述べ、自身が政策科学の研究に取り組むきっかけの1つとなったことを述懐しました。
1. 計算社会科学とは-「政策のための科学」における基礎研究として
現在、坂田氏の研究グループでは、複数の領域の研究分野に取り組んでいます。そのうちの1つが計算社会科学(Computational Social Science)です。その名前のとおり、計算機科学と社会科学の複合した比較的新しい学問で、深層学習や自然言語処理で作成した予測モデルや、工学的シミュレーションなどが手法として用いられています。また最近では、複数のLLM(大規模言語モデル)エージェント間での対話により仮説を形成する手法も登場し、アプローチの高度化や多様化により、従来は難しかったより柔軟な分析が可能になってきているといいます。
計算社会科学の研究において、重要な点は2つあります。1点目は数理的・論理的な考察により「再現可能な法則性もしくはプロセスを見いだすこと」そして2点目は「社会的・文化的なコンテクスト(文脈)や慣行を理解しなければ、正しい知見は得られないこと」です。坂田氏は後者の例として、「家計における炭素排出」に関する論文から抽出したキーワードの集計データを紹介しました。この分析をとおして、大陸によって多く抽出されるキーワードの傾向が異なっていることが明らかになりました。例えば、アフリカでは「バイオマス」や「石炭からの転換」といった言葉が中心である一方、ヨーロッパでは再生可能エネルギー技術などを前提とする「グリーンエコノミー」などの言葉が頻出する、という特徴が見いだされたのです。坂田氏は「学術の世界においては、同じ言葉を使っていたとしても、研究のターゲットや内容にはかなりの幅がある。これを理解せず、言葉を分析するだけでは真実を見いだすことはできない」と、コンテクストをふまえた研究の重要性を強調しました。
2. ホットストリークから明らかになった創造性の源泉-科学者のキャリアと研究成功につながる条件
坂田氏の発表は、計算社会科学に関する具体的な研究の話題に移ります。同氏は、計算社会科学を政策科学に学理を提供する学問と位置づけています。最初に紹介されたのは、科学者のキャリアにおける「ホットストリーク(調子の良い時期)」に関する研究です。
ホットストリークとは、端的にいえば「才能のピークが持続し、高いパフォーマンスをあげている期間」です。アインシュタインが特殊相対性理論などの歴史的な論文を立て続けに発表した1905年は、俗に「奇跡の年」と呼ばれていますが、これは科学者のホットストリークの代表例といえます。
坂田氏は、科学者のホットストリークを「キャリアの上位10%に入るような業績が続けて出る時期」として、その発生頻度の傾向を調査しました。その結果、ホットストリークの起こりやすい時期について、キャリアの初期と終盤に集中しており、一定の経験を積んだ中堅では比較的少ないことがわかりました。
この理由については、①博士課程からポスドク期においては、特定の研究分野での濃密な人間関係による人的ネットワークが形成されること、②キャリア終盤では、大きなチームを率いているために、科学者自身の関心に基づいた独創的な研究を推進可能になることが原因と推測されます。一方、ミッドキャリアにおいては、研究以外の業務により時間が制約され、研究の成功の機会が減少する(中堅の落とし穴)ために、ホットストリークがより起こりにくいと考えられています。坂田氏はこの研究成果について「さまざまなキャリア段階にある科学者を対象とする支援や、助成金プログラムの実施についての基礎的な知見となり得る」と、その応用可能性を説明しました。
3.日本の研究力の立ち位置と国際競争力
近年、日本の研究力の低下が問題視されるようになってきています。しかし、ある分野に関する論文の数を調べるだけでは、研究における国の科学コミュニティの世界的な立ち位置を正確に把握することはできません。坂田氏の研究グループでは、2021年までの全分野の論文の参考文献リストに着目して、組織・国別にその類似性を計算しました。これをもとに「ある時点でその分野において先進している組織・国に、他の組織・国がどれほど早く追いついてくるか」を調べ、研究トピックの先進性を示す独自の指標(TPI)を開発し、定量化しました。
その結果、各国のトピックの先進度と、論文の平均被引用数との間には、一定の相関関係が認められました。これからトピックが先進しているほど論文の引用数が高い、と見ることができます。また、個々の国に注目すると、日本はトピックの先進度では平均的なものの、被引用数が伸びていないことがわかりました。一方、中国や香港、シンガポールなど、研究トピックの先進度に比べて平均引用数が高めな国・地域があることもわかりました。
この背景にあるのは、論文の共著ネットワークの違いです。坂田氏は、分析対象の全論文について研究者の人的ネットワークをまとめ、国ごとに比較しました。鍵になっていたのが、ネットワークで重要な立ち位置にいる研究者(インフルエンシャルな研究者)の自国内での分布です。例えば、米国は全分野にわたって共著ネットワークが発達し、インフルエンシャルな研究者も多く存在しています。その一方、日本はインフルエンシャルな研究者の密度は平均的ながら、共著ネットワークの広がりは限定的でした。つまり、トピックの先進性と、国の人的ネットワーク内に世界的にみて中心的な研究者がどれくらい存在するかには、密接な関係があるのです。研究環境の国際化が加速するなか、異なる国や地域の研究人材による国境を超えた「頭脳循環」拡大の重要性が、あらためて示されたといえます。
4.科学と政策の共進化とその実例

国際機関(IGO)の発行する政策文書では、健康・医療や環境、経済といった分野を中心に、さまざまな科学研究の成果が引用されています。これに関連して、ある科学研究の成果が公共的に利用されると、その研究のインパクトが高まる傾向が知られています。そのため、国際機関の政策文書に多く引用されている論文や分野のニーズを知ることは、科学者や個々の研究が政策文書へ与えるインパクトを評価する際の基礎的な知見になると考えられます。
科学研究者が政策に与える影響についてよくわかる事例が、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関する論文の被引用数です。このトピックに関する研究は、特に2020年以降、以前の5倍以上の頻度で政策文書にエビデンスとして引用されています。またそれ以外にも、他グループの著名な研究において、政策文書で引用された論文のインパクトだけでなく、被引用数が多い論文を引用した政策文書のインパクトも高くなる傾向が認められました。この科学と政策の「共進化(co-evolution)」は、政策作りと科学的な貢献が、望ましい影響を相互に与え合うことを示しています。同様の傾向は気候変動などの環境科学や、サーキュラーエコノミーといった分野でも認められており、政策側からのニーズが高まってきています。
また、坂田氏のグループは、国別に政策文書に引用されやすい研究論文の傾向についても分析しました。その結果、被引用数を決める要素として、①論文数、②掲載された雑誌、③政策に被引用された参考文献の引用、④著者の属性(過去の政策文書での被引用数)の4つがあることがわかりました。また、「過去に64回以上引用されている論文著者の場合、次回に発表する論文はおよそ37%の確率で引用される」ことも見いだされました。坂田氏によれば、こうした“Policy Influential
Scientist”とされる研究者は、引用されるタイミングも早く、また、より多くの国際機関に研究成果を引用される存在であるといいます。言い換えれば、「国際機関は、科学の世界と政策の世界を橋渡ししている研究者の研究をよく把握している」(坂田氏)のです。これは、社会課題の解決への貢献は、研究のインパクトを直接的に高めることを意味しています。
5.イノベーションを左右する意思決定支援に向けた展望
これまで紹介してきた計算社会科学の研究成果は、主に科学技術が主導するイノベーションを理解するための手段です。そのため、企業や政府による多様なタイプのイノベーションを俯瞰し、さまざまな課題を解決するには、扱う情報の範囲を拡張することが求められます。
そのための新しい学問分野として坂田氏が提唱するのが「Technology Informatics」です。そしてTechnology Informaticsの知見や手法を応用し得る領域の1つが、政策や技術経営の意思決定支援です。意思決定支援には、科学技術に関するビッグデータはもちろん、経済や規制に代表される、市場・社会に関する情報が不可欠となります。これらの情報を構造化・統合して分析し、ニーズに合わせて提示することが、Technology Informaticsの目標となります。
坂田氏は、Technology Informatics
におけるデータ取り扱いの事例として、科学分野における成長領域を対象に、各国がどの程度上位シェア(1位〜20位)を占めているかを分析した結果を紹介しました。世界の成長領域トップ100を抽出し、国別にシェアを比較したところ、中国が多くの分野で首位を獲得していた一方、日本は3位内に入る分野がほとんどみられませんでした。さらに、坂田氏は論文の基礎研究度と応用研究度を算出し、研究成果がどの程度応用展開に向かっているかを把握するための「TALS指標」を開発しました。この指標を各国で比較した結果、特に中国では、ナノカーボン、光触媒、バッテリーといった分野において、基礎研究から応用研究、実用化までがスピード感をもって展開されていることが明らかになりました。これが、製品の価格競争力や生産量の面で同国が優位に立っている背景となっています。
Technology Informatics のもう1つの重要な方向性として、社会的情報を含めた総合的な意思決定支援が挙げられます。これを志向した取り組みが、約7万の研究領域を俯瞰的に整理した「Science
Planet+」です。このシステムでは、ネットワーク分析等に加えLLMも活用して、領域間の関係性、各分野のトップ研究者、その特徴や代表的な論文、さらには領域の歴史や概要までをまとめて無償提供しています。こうした取り組みは「専門分野を超えた学術的な橋渡しが可能となり、研究者や政策担当者、企業の意思決定者が全体像を把握しやすくなる」(坂田氏)点で意義がありますが、近年はLLMエージェントの活用により、知識の整理や探索・提示の効率化も可能となっています。
計算社会科学やその応用領域であるTechnology Informaticsは、科学技術と社会をつなぎ、イノベーション創出を支える可能性を秘めています。この新しい知の基盤は、実効性ある意思決定を支援する点で、政策のための科学とその実践においても、幅広く活用可能といえます。今後、学問分野として知見が積み重ねられるとともに、実社会での応用が期待されます。
※当日の発表資料はこちらをご覧ください。
以 上
パネル討論「SciREXの経験と蓄積を未来にどう生かすか」








