日本の科学技術の国際的・相対的な地位低下。その要因の一つに、厳しい財政状況の下で、これまでその基盤を支えてきた予算の減少があるとも指摘されている。この大きな時代の流れの中、科学者はどんな姿勢で研究に取り組むべきなのか。ノーベル物理学賞受賞者でありSciREX事業のアドバイザリー委員である小林誠先生をお招きしてお話をうかがった。
日本の基礎研究を取り巻く環境と、課題とは。
小林誠さん 赤池 学術論文数などの指標から日本の研究力が相対的に低下しているのではないかと言われる中、日本の物理学の最先端を歩んでこられた小林先生は、今の基礎研究における課題をどのようにお考えでしょうか? 小林 やはり国立大学の法人化以降、大学の予算、特に基盤となる運営費交付金が減少し続けていることが一番大きな問題でしょう。文部科学省(以下、文科省)は競争的資金と併せてトータルで大学に渡る予算はキープしていると言いますが、やはり運営費交付金など、大学における基盤経費が大きく減少しているという点が、一番気になります。基盤的経費があって、研究活動の多様性を支えることができると思うのですが、それが減少した影響は世界における論文数シェアの減少という結果に現れていると思います。 赤池 研究を継続するためには、基本的な論文を読み、年に何回かは海外に行ける程度の予算が必要ということでしょうか。 小林 そうですね、今は難しいんじゃないでしょうか。 赤池 競争的資金によってカバーされている、例えば、伊藤さんが手掛けているファンディングプログラムの「さきがけ」などが支援する、少し芽が出た後の研究はまだしも、本当に探索的な研究は継続が厳しくなる可能性がありますよね。 小林 大学の基盤経費が減ると、一人ひとりの研究者に配分される研究費が真っ先に減ります。その減り方が、もう基本的な研究を支えるレベルを割ってしまっている。研究の多様性という観点からは非常に大きな問題です。「メリハリをつける」というと、良い事のように聞こえますが、その影で研究の多様性が瀕死の状態ではないかと心配をしています。 伊藤 私が担当している科学技術振興機構(JST)の「CREST」や「さきがけ」を始めとした「戦略的創造研究推進事業(新技術シーズ創出)」では、新しい技術のシーズ創出を目指す基礎研究にファンドを出して支援を行っています。基礎研究は、見込まれる成果を国民の皆さんに説明することが難しいですが、「我が国が直面する重要な課題の解決が見込まれる研究に投資をします」という分かりやすい形で、少し芽が出た後の基礎研究を活気づけることができたらなと思っています。 赤池 厳しい財政状況の中で、基礎研究への理解を広げることが、越えるべき課題ということですね。
基礎研究の価値をどう評価し、広めていくか?
赤池伸一さん 小林 基礎研究の価値を、知と社会の関係性から考えてみます。知識の体系はそもそも世の中の役に立つかどうかではなく、自然科学の場合、自然の仕組みを明らかにしようというのが基本で、そこで発見された知識のある側面が社会に有用で、それを糧に人類は繁栄してきたという構造です。だから研究の源になる「知りたい」という部分が、様々なプログラムを考える時にどれくらい意識されているかが気になります。 赤池 科学技術イノベーション政策の歴史を見ても、ベーシックな方向に寄る場合と、課題解決の方向に寄る場合がありますね。課題解決なら基礎研究を切り捨てて構わないわけではありませんが、測定可能な経済価値、あるいは市場価値だけで研究の価値を見て行くと、基礎研究の正当性の説明はなかなか難しいのです。ここには根本的な問題があると思います。 小林 研究全体のデザインをするときに、その科学的な価値と、研究と人間生活との関わりをどう理解するかが問題でしょう。目的を決め、そこにお金を出すとなると、どうしても「役に立つか否か」という評価基準が入ってしまうんですね。しかし、そもそも科学研究は役に立つかどうかより、自然の法則を明らかにしようというのが基本。だから科学研究を進めるには、元になる自然を理解したいという「好奇心」が大事だと思います。基礎研究を進めることで科学知識の総体としての体系が育ちます。しかし、それが人間生活に恩恵をもたらすまでには、たくさんのステップが必要で時間もかかります。そういうものの価値を説明するのは、費用対効果という視点での説明は難しいです。やはり、そういう基礎研究に対する理解と長期的な視点からの投資の必要性を社会全体で共有する必要があります。経済効果や応用の見えやすい研究と同じベースで議論するのは難しいと思いますね。
なぜ、科学に多様性が求められるのか?
小林 多様な自然現象に対して興味を持つことが研究活動の出発点ですが、興味の持ち方も多様でないと自然の全体像は捉えられません。デザインされた方向性ではなく、自然に生まれてくる研究の多様性が、科学の広がりを作ります。研究活動をサポートするには、総体として出てくるものを研究の成果としてしっかり受け止め評価する仕組みが必要ですね。 赤池 伊藤さんのご専門は何でしたか? 伊藤有佳子さん 伊藤 薬学です。ライフサイエンス系ではまさに生命現象の理解の仕方には様々な方法、過程があり、多種多様なアプローチがなされています。一つの疾患を対象としても、疾患の原因究明について、ゲノム配列や細胞内の動態から見る方やマウスなど個体からアプローチされる方がいます。また、治療に有効そうな化合物の合成プロセスを研究される方、医療・保険制度の専門家による社会システムの構築等がそろって初めて治療に繋がるので、まさに多様性が重要だと思います。 赤池 私は食品工学が専門で、食品製造プロセスを作る仕事をしていました。既存のシステムや食品製造工程でも新しい事案が持ち上がったときには、基礎に立ち返らないと次の検証プロセスに進めません。ですから、本質的な現象を理解していないと独創的なものも生まれてこないんですね。 小林 そう考えても、研究には様々なスタイルがありますね。どんな分野の研究でも、そこから得られる知識はお互いに密接に関係しているわけですから、あまり単純に基礎研究と応用研究に切り分けないほうがいい。それぞれの局面で、いろいろな方向を向いて研究する人がいていいと思いますね。 赤池 ただ残念なことに、日本の場合、研究者の横の流動性が低いです。例えば大学などで教授を目指して研究をしていても、研究所の事情や人事上の都合で、それが叶えられなくなった場合、「じゃあ今度は、こちらのベンチャーで研究を続けよう」ということは難しい。セーフティーネットがなければリスクも取れない。米国のITベンチャーの経営者は、大学で数学をやっていた、理論物理学をやっていたという話が多い。色々な選択肢の中から、自分が選び取っています。日本の研究者は縦割りの中で収まっていて、なかなかチャレンジがしにくい傾向があるかもしれません。
研究現場と行政の垣根を越えて
赤池 色々と課題を抱えている日本の科学研究ですが、その価値を世の中に広めるためにはどうすればいいでしょうか?伊藤さん、いかがですか。 伊藤 本来、日本の科学技術をどうすべきか、その中での大学改革の位置付けと競争的資金配分はどうあるべきか、という大きな絵があるべきだと個人的に思っているんですが、どうしても自分の担当業務と目前のことに集中しがちで…。 小林 科学的なエビデンスに基づいて政策を立案するのは、ある意味当然のことでしょう。しかし、現実の政策を見るとかなり短絡的だという気がします。その政策やアクションの中でどんなプレーヤーがどういう業務にかかわり、どういうリアクションをするかといった、政策の持つダイナミクスを分析し、法則性を見出すというのがディシプリンとしての「政策のための科学」でありSciREXが取り組んでいることではないかと思います。その手法が確立できれば、個々の政策も意義があるものになると思います。 赤池 そうですね。「政策のための科学」が実学として何かに役立つことを目指す体系なのか、知的好奇心に基づいた体系なのか、政策の構造を理解するところまで整理がされておらず、多分、その議論自体もまだまだ道半ばですね。 小林 そういう体系をつくるための原理、思想が必要だと思うんですが、まだよく理解されていないですね。あとは、現場の研究者、研究経験のある人が、役所の中枢部に入っていけるようなシステムがあるといいなと感じます。 赤池 それは大事ですね。研究者が政策立案の現場に携わるというのは重要だと思います。 小林 やはりそういう人の発想で、政策立案まで持っていければいいと思います。日本学術振興会(JSPS)の学術システム研究センターにいた頃、現場の研究者の人とファンディング機関の職員が科研費などついて議論をしていました。非常にいい接点だと思いますが、やはりすれ違っている部分はあるので、もう少し深くお互いにコミットする機会があるといいですね。 赤池 おっしゃる通りです。行政官と研究者が互いに交流して、自ら垣根を越えていくことが必要です。でも難しいのは、特に現役の研究者ですと研究に忙しくて、来ていただけないケースもあって。やはり行政側もそうですし、研究側でも少し余裕があると人事交流できるのかなという気がしますね。
若き行政官、研究者の皆さんへ。
赤池 SciREXセンターには現役の行政官が参加し政策と研究をつなぐ「政策リエゾン[1]」という制度があります。これを作った目的は、現実的なプロジェクトと担当者をつなぐという面もありますが、自分のポストを少し離れて関心のあるところを掘り下げ、政策を扱う者として素養を深めるための機会をつくることです。若い行政担当者だと所掌事務の範囲はとても狭く、仕事を離れると何の権限も知見もありません。だから、自分のポストを離れて、「基礎研究をどう考えるか」などの問題を俯瞰的に見て、その解決を考えるための機会にしてほしいですね。人によっては、原子力の問題をどう考えるかとか、産学連携とか、財政の問題とか、様々な問題を少し広い視座から見て考える機会が、とても必要だと思うんですよ。 赤池 やはり現場はとても大事ですね。伊藤さんは研究の現場に出たことはありますか? 伊藤 実は1度もないんです。ずっと文科省にいるので、大学や研究開発法人などに出向して、研究者の皆さんと一緒に研究を支えるような活動をしてみたいと考えていました。文科省にいて色々な事業を企画するのに、先生方のお話を伺うだけでは、毎日の研究はどんな様子で、どんな時にどのようなサポートが必要か、長期的にどのような事業が必要か、なかなか理解し切れていないと感じているものですから。 小林 そのあたりはぜひ、お願いしたいですね。 赤池 私も3年間、一橋大学で教員として働きましたが、カルチャーショックがありました。一方で、大学の仕組みが分かり、とても勉強になりました。一概にいいとも悪いとも、言えないところもありますが、研究者から見ると、役所も相当変わった世界だと思うことがありますね。 伊藤 互いに歩み寄りが大切なのですね。 赤池 最後に今、日本の研究者が、自由な発想で研究していくに当たって、一番大事だと思われることは何でしょうか? 小林 ひとえに「科学をやろう」、「研究をやろう」という強い気持ちです。世の中の役に立ちたいと思ってやる人、好奇心からやる人、様々な方向性の人がいて良いと思います。そのうえで、各研究者が自分のやりたいと思うところを追求すればいいのであって、あまり周りに気を使う必要はないと思います。 赤池 個人は個人の知的好奇心を追求することが大事だと。 小林 それが原動力なら、そこを最大限に発揮することですね。研究者が一人ひとり自分の能力を最大に発揮すれば、それは全体として大きな力となります。そのためには、静かに集中できる研究環境が一番求められているんじゃないでしょうか。昔に比べて、大学は資金確保などのための雑用に振り回されていて、優れた研究者が研究に集中する環境というのが失われている気がするので。 赤池 物理的にも環境的にも静かなスペースが無いと大きなビジョンは生まれないということですね。 小林 はい、個人のオリジナリティを追求していくことが、結果的には多様性につながります。そのための研究環境が整えられることを望んでいます。
- [1]SciREXセンターでは、関係府省の現役行政官等をメンバーとする政策リエゾンネットワークを設置しています。政策リエゾンは、SciREXセンターや拠点大学の研究活動と実際の政策形成・実施の現場のつなぎ役・先導役を担います。
左から伊藤有佳子さん、赤池伸一さん、小林誠さん
「政策のための科学」アドバイザリー委員 小林 誠
- PROFILE
- 名古屋大学大学院理学研究科博士課程修了。日本を代表する理論物理学者。世界中で研究が進められる素粒子物理学の基礎を成した「小林・益川理論」が高く評価され、2008年にノーベル物理学賞を受賞。
科学技術予測センター長 赤池 伸一
基礎研究推進室 専門職 伊藤 有佳子