政策×科学のフロンティア 感染症対策の政策形成に数理モデルを活用する

保健医療政策の中でもとりわけ感染症対策の分野において、数理モデルというエビデンスを活用していくためには、具体的にどのようなエビデンスを送り出し、政策担当者にどのようにアプローチすればいいのか。JST-RISTEX「科学技術イノベーション政策のための科学」研究開発プログラムにて2013年10月~2017年9月に採択されていた「感染症対策における数理モデルを活用した政策形成プロセスの実現」のプロジェクトリーダー、西浦博氏にご経験を踏まえてお話しいただいた。

感染症数理モデルで何が可能になるのか

森田 まず感染症の数理モデルとはどういうものなのか教えてください。 対談の様子西浦博さん 西浦 感染症がどのように伝播し、感染したヒトがどの程度の期間で発病し重症化するのか、といったプロセスを数式で記述するのが感染症数理モデルです。モデル化した社会の中で、感染症の流行を再現して対策を考えたり、実施した対策の有効性を客観的に評価したりすることができます。感染症数理モデルはここ15年ほどで飛躍的に信頼性が高まり、欧州を中心に保健医療政策の形成過程で盛んに活用されるようになりました。 森田数理モデルでどのようなことが可能になるのか、西浦先生のご研究をもとに教えていただけますか。 西浦 分かりやすいのが予防接種の見積もりですね。さまざまな感染症に対して、人口の何%がワクチンを接種して免疫を持てば大規模な流行が防げるのか計算することができます。
日本では2012年から13年にかけて風疹が大流行しました。その時のデータを分析してみると、成人男性が流行の中心的な役割を果たしていました。風疹の定期接種は、1994年までは女子中学生のみを対象にしていたので、ここに来て免疫を持たない成人男性が目立っているのです。そこで私たちは、成人男性のデータを感染症数理モデルに取り込み、風疹の再流行が生じない条件を算出しました。具体的には、30~50代の男性の約2割が追加で風疹の免疫を獲得すれば大規模な流行は起こりません。
森田今後の予防接種対策を考える上でたいへん貴重な情報ですね。 西浦 今回のJST-RISTEXの研究開発プロジェクトを通じて、保健医療政策の現場の方々に、30~50代の男性に優先的に予防接種をすべきこと、そのための必要予算がどの程度であるかという点に関して伝えています。今はその予算が得られたとして、どのような予防接種プログラムによって目標を達成するのか、国立感染症研究所の先生方と議論を進めているところです。
予防接種に関しては、保健医療政策の策定担当者とかなりやりとりを重ねました。「30~50代ではなく30~40代に絞ったらどうなるのか」、「男女同等に接種するとどうなるのか」といった質問に応じてさまざまなシナリオを作成し、数値実験を行っています。
森田以前はやみくもにといいますか、確たる根拠もないままに政策判断が行われてきたわけですか。 西浦 恣意的な側面が強かったと思います。今回のように、複数のシナリオとその予算を具体的に提示した上で、保健医療政策の担当者と研究者が同じテーブルで相談できるようになったことは、行政側にとっても革命的なことだと認識してもらっています。
他に私たちが行った研究テーマにHIV/エイズがあります。HIVに感染してからエイズを発症するまでに数年から10年かかるのですが、医療機関を受診して血液検査をしなければHIV感染の有無は分かりません。感染に気付いていない人がどの程度いるのか、日本ではこれまで公式な推定値か出されていませんでした。そこで数理モデルを使い、報告されるHIV感染者数とエイズ患者数から、未診断のHIV感染者数を推定する仕組みを考案しました。このように、今まで観察できなかった事象について、一定レベルの科学的妥当性を担保しつつ議論できるようになったことが、数理モデルの一つの核心と言えます。

日本と海外の政策形成プロセスの違い

森田 先ほどのお話だと、欧州では以前から数理モデルが活用されてきたわけですね。 西浦 特にイギリスとオランダは別格です。国の研究機関の中にモデリングユニットがあり、数理モデルの専門家グループが国の政策決定のブレーンの役割も担っています。感染症に関する研究成果が、リアルタイムでフィードバックされる仕組みができあがっているわけです。 森田それに対して日本の状況はどうなのでしょう。 西浦 まだそうした仕組みはありません。日本ではこれまで、感染症の流行があるたびに、追いかけるように議論がなされてきました。感染症の専門医や疫学の専門家などが会議に呼ばれ、その都度知識を振り絞って観察データを分析してきたのです。 対談の様子森田朗さん 森田 後追い的であり、日常的に研究成果が参照される体制ではなかったと。 西浦 さらに、形式上は会議で専門家の意見を聞いて政策を判断するのですが、実際は会議の前に一定の方向性が決められています。それがアジアの多くの国で見られる政策決定プロセスだと理解しています。 森田 その恣意的な決定が行われる段階で、科学的な知見が反映されることはないのでしょうか。 西浦 政策担当者の方々は多くの案件を抱えており、エビデンスを参照する余裕がありません。一方で、研究者側にも問題はあります。政策担当者のニーズを汲んだエビデンスでない限り、恣意性のある政策決定プロセスでは無視されざるを得ないでしょう。

数理モデルが不可欠な領域を認識してもらう

森田 今のお話のような状況の中、今回のRISTEXプロジェクトではどのような成果が得られたのでしょうか。 西浦 個々の政策担当者に、数理モデルがどうしても必要となる領域を認識してもらうことができました。例えば、数理モデルを用いなければ、国内にHIV感染者が何人ぐらいいて、そのうち何%は診断されていないという、流行対策を構築する上で必須の推定値が得られません。そのようなエリアをいくつか認識してもらうことで、必ず意見聴取してもらえる体制が作れるようになりました。 森田会議の事務方を含め厚生労働省の方々も、正確な推定や予測に基づいて有効な感染症対策を立てたいと当然考えているわけです。この方法であれば確度の高い推定値、予測値が得られるということを耳に入れておけば、利用してもらえるということですね。 西浦 ええ、厚生労働省に限らず各省庁の方々は、急に話を振っても限られた時間内に返答してくれる数理モデルの専門家を求めています。その中で成功事例を積み重ねることで、関係性を築くことができました。
特に良かったのは、2017年に『後天性免疫不全症候群に関する特定感染症予防指針』の改定が議論されているタイミングで、今回の研究が実施されたことです。
指針の前文に、「エイズを発症した状態でHIVの感染が判明した者が、新規に感染が判明した感染者等の約三割を占めており、HIVの感染の早期発見に向けた更なる施策が必要である」という、これまでには考え難かった研究成果に関連する文言を明記してもらうことができました。
また指針では、拡大的に検査しHIV感染者を治療下に招きいれることで、他者に感染させない状態にまでウイルス量を低下させるという、UNAIDS(国連エイズ合同計画)の予防・治療戦略が示されています。各国は、HIV感染者の診断率を報告することになりましたが、そうした世界的な動向に対応する役割の一端を担うこともできました。

政策ニーズを掴むアプローチと課題

森田 西浦先生は今回のプロジェクトで“営業”という表現を使われ、積極的に行政機関に働きかけ、政策現場のニーズの把握や喚起に努められましたが、どのようにアプローチしたのですか。 対談の様子 西浦 自分たちから出向いて省庁および政府機関の方々とコミュニケーションをとり、次にどの感染症の予防指針が改定されるのか、今どの感染症の対策委員会が動いていて、どんな情報が求められているのか、といったリアルタイムな政策ニーズを得ることに努めました。各感染症の担当者が開催する勉強会にも足しげく通っています。全体的な推定値を出して終わりではなく、相手から情報を得ながら必要な部分に注力して追加の分析も行う。そのように、情報が相互に行き交う体制を作るため、勉強会に頻繁に参加させてもらいました。楽しかった経験の一つです。 森田政策担当者もいろいろと知恵を求めているので、勉強会などを通して「この技術は使える」と思えば耳を傾けてもらえるのでしょうね。 西浦 関係性さえできれば、相手にとって必要な情報を聞いてもらうのは全く困難ではないというのが実感です。ただ一方で、政策担当者が必要なのは一部の数値だけで、それ以外は聞いている余裕がないということもよくあります。一番難しいのは、感染症対策に携わる方たちが聞きたくない分析結果のときにどう対応するかです。現行の施策の有効性に疑問を呈するような情報に対しては、「まあ、そこに関しては口を閉ざしていてください」といった反応が多いですね。その意味では本当に対等な関係でのコミュニケーションとはいえないので、今後さらに関係性を深めていかなければと思っています。 森田 今のご指摘は非常に重要だと思います。私が国立社会保障・人口問題研究所の所長を務めていた時も、人口減少に関してかなり厳しい推測結果が出ると、受け入れたくない将来像だとして否定される風潮がありました。

数理モデルに対するリテラシーと人材育成

森田 医系技官や疫学などの研究者で、ある程度数学の知識を持っている方であれば、データの信頼性やモデリングのロジックまで踏み込んだ生産的な議論ができる気がするのですが、実際はどうなのでしょうか。 西浦 数理モデルの中身の妥当性の担保は私たちに任せられています。最初は、一定レベルの諦めを持って数理モデルを政策現場に持ち込んでいます。プロジェクトが立ち上がり、時間をかけられるようになった段階で少しずつ、数理モデルの中身のメカニズムにも興味を持ってもらえるよう、図を交えて説明するなど工夫しています。数理モデルのリテラシーを高めていくことは重要な課題ですね。 森田 今のお話を伺って、サイエンスの内容をしっかり理解し、それを翻訳して政策担当者や国民に伝える人材を育てる必要性をあらためて感じました。 西浦 科学者として信頼を得るためには、権威ある雑誌に論文を掲載し、外部の評価を得ることが一つの手段になるでしょう。しかし、それだけでは良好な関係は築けません。今回のプロジェクトでは、数理学的な詳細には一切興味を抱かない方々に対しても、懐に飛び込んで回路を拓くような試みにトライできたのがありがたかったです。
例えば、厚生労働省の『感染症危機管理専門家養成プログラム』の人材育成プログラムと平行して、私が担当する教室の若手医師2名が医系技官として同省で経験を積ませていただきました。私たちが話す内容と、先方の興味をブリッジする役割を若手医師が担ってくれたことで、意思疎通が飛躍的に進みました。
森田 感染症の流行がそれほど大規模ではない場合、まず都道府県が対応するのでしょうが、地域で感染症対策を主導する人材を育てるのは難しいでしょうか。 西浦 国立感染症研究所の『Field Epidemiology Training Program Japan』では、医師・獣医師を中心とする専門職を対象に、地域レベルで感染症対策を行うために必要な知識や技術を2年間で集中的にトレーニングしています。ただ、各都道府県に戻っている研修修了者がまだ1人ずつぐらいなので、時間をかけて粘り強く取り組む必要があるでしょう。

若手研究者の視野をオープンにするために

対談の様子 森田 西浦先生が培ってきたノウハウを、若手研究者にどのように伝えていきますか。 西浦 私自身が一番勉強になったのは、客員研究員としてロンドン大学にいた時に、教授の“鞄持ち”としてUNAIDSの会議に連れて行ってもらったことです。会議場で横に座り、「次はこういうカードを切るんだよ」と教えてもらいました。私はこれをメンタリングの一環と考え、うちの教室の大学院生を厚生労働省やWHOの会議に連れて行っています。
研究の仕方をオープンプロセスにすることも重要ですね。エボラ出血熱のパンデミック(世界的大流行)が起きた時、人材と仮設の医療機関をどれくらい投入するか、対策のオープンコンペティションが開かれました。各国のグループが盛んに議論をし合い、とても健康的な印象を受けました。日本でも、「この問題の対策を数理モデルで考えてください」というオープンコンペティションを行えば、複数の研究グループが成熟していくと思います。
森田 若い研究者の中には、コミュニケーションの仕方が分からないという人もいるでしょう。そういう人たちをサポートする方法について何かお考えはありますか。 西浦 数理科学の領域でよく見られる傾向ですが、サイエンスとしての真実の究明に常に関心が向いている場合、必ずしも応用に興味があるわけではありません。ただ、まったくないわけでもないのです。例えば、自分が開発したシミュレーション技術が何に使えるのか、オープンに意見を聞きたいということもあるので、そうした場合はできるだけマッチングの機会を提供しています。
具体的には、2014年に『感染症数理モデルの教育研究コンソーシアム』を立ち上げました。メンバーの半分ぐらいは数理科学者で、残り半分が医学や情報科学、生物学などの専門家です。行政官の方も参加しています。このコンソーシアムを通じて、コミュニケーションがあまり得意ではない人には、「この研究者とコラボレーションしてみませんか」と紹介したりすることで、少しずつ新しいプロジェクトが生まれています。

日本の大学システムの見直すべき点

対談の様子 森田 研究者が自ら成果をアピールするのとは別に、研究と実務の境界で両者をつないでくれる人がいると助かりますね。 西浦 喫緊に必要なのは、科学研究のアウトプットと社会のニーズとの調整役を担える人です。私が北海道大学で日本学術振興会の大型研究費(頭脳循環を加速する戦略的国際研究ネットワーク推進プログラム)に応募した際は、URA(University Research Administrator)の人が先方の意図をよく読んで応募資料を作成をリードしてくれたので、「URAはすごく強力だ」と認識しました。ただ、フルタイム契約ではないなど、専門性が大学できちんと尊重されていないように思います。 森田 Administratorですから、研究プロジェクトにおけるマネジメントの中核のはずですが、アシスタントと誤解されている感もありますね。教育も含めて日本の大学のシステムにも見直すべき点がありそうです。 西浦 それに関連して、全国の大学で公衆衛生大学院の設置が進められています。北海道大学でもその構想があり、現在は私の教室が、大学院医学院の修士課程で公衆衛生学コースを担当しています。公衆衛生の専門家は、役所に出向いて調整役を買って出るなど、社会と医学をブリッジする役割を担うので、そうした人材を育成する中で感染症の専門家も輩出していけるのではないでしょうか。

研究成果を行政・社会に届けるモチベーション

森田 西浦先生は本来の研究もさることながら、研究成果を政策に反映することにかなりのエネルギーを投入されているわけですが、どういうモチベーションによるのですか。 西浦 感染症数理モデルは、政策担当者に研究成果を参照してもらうことで次の展開が生まれる研究領域です。だから対等な関係を築き、先方のニーズを連続的に得ながらどんどん発展していくという理想状態を目指しています。
また、保健医療行政では、理論的に間違った選択肢がとられたために、命や健康に関わる不利益を被っている人がいることも否定できません。数理モデルというサイエンスを選択に役立ててもらうためには、苦労があっても諦めてはいけないと、自戒を込めて考えながら活動しています。
森田 感染症数理モデルという技術を活用できるようになったからには、もっとすべきこと、対策を講じなければならないことがあるような気がします。日本の場合は少し心配なんですよね。本当に怖い感染症が来た時に大丈夫なのかと。 西浦 新興感染症対策では、従来のように欧米の判断を参照している時間的余裕はありません。随時更新されていく不完全な疫学データをリアルタイムで分析し、迅速に判断することが求められます。自分たちで回せるサイクルをいくつか持っておかないと、突発的な流行に対応できないでしょう。今まで以上に突発的な流行が日本で起こるのは時間の問題だと思います。 森田 何だか怖いお話ですね。
では、最後に感染症対策を策定する行政官の方々に何かメッセージをいただけますか。
西浦 保健医療政策の現場にはエビデンスを使った政策決定に対して、志の高い方がとても多いと感じます。彼ら、彼女らは、今は辛抱して旧来の方法に従っているところもあるように思います。ただ、最近は政策判断に客観的なエビデンスを用いる機会が多くなっていますし、今後もっと爆発的に増えていくはずです。その時に高い志を持った方々がエビデンスを実装する役割を担ってくれるでしょうし、私たちも全力でバックアップしたいと考えています。 森田 数理モデルという科学がより強く政策に結び付いていくことを期待します。本日はありがとうございました。


左から西浦博さん、森田朗さん

北海道大学大学院医学研究院教授 西浦にしうらひろし
PROFILE
感染症流行データの分析が専門。2016年より現職。2004年ロンドン大学で客員研究員として理論疫学の第一人者であるロイ・アンダーソン教授に師事。その後テュービンゲン大学、ユトレヒト大学、香港大学、東京大学などで感染症数理モデルの専門研究と教育を経験。武見研究奨励賞、遠山椿吉記念健康予防医療賞などを受賞。
JST-RISTEX「政策のための科学」研究開発プロジェクト プロジェクト総括
津田塾大学総合政策学部教授
森田もりたあきら
PROFILE
専門は行政学、公共政策。東京大学大学院法学政治学研究科教授、厚生労働省中央社会保険医療協議会会長、国立社会保障・人口問題研究所所長などを歴任。著作に、『会議の政治学Ⅲ 中医協の実像』、『新版・現代の行政』など。
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