最先端テクノロジーが導く新たな社会 Vol.1 日本発の新素材「セルロースナノファイバー」が実用化に向けて乗り越えてきた課題とこれから

今、世界からも注目を集める新素材「セルロースナノファイバー」は、どのように実用化への壁を乗り越えてきたのだろうか?木材から生まれ、地球環境にも優しいという特徴を持ちながら、鉄と変わらない強度、そして鉄と比べて5分の1の軽さを誇る「セルロースナノファイバー」の研究開発・実用化に携わる産官学のキーマンにお集まりいただき、数々の課題にどう向き合ってきたのかを語っていただいた。併せて、他分野にも活用できるヒントも探っていく。

「セルロースナノファイバー」研究の幕開け。

青島 まずは矢野先生にお伺いしますが、セルロースナノファイバーの研究を始めた、そもそものきっかけは何だったのでしょうか。 対談の様子矢野浩之さん 矢野 セルロースナノファイバーは昔から植物の細胞壁を作る物質であることは知られていました。私の専門は木材で、楽器に使われる木材の音響的な性質が、そのセルロースナノファイバーの配列とどう関係するか研究していたんです。そんな中、高さ100メートルもある大木さえも支えるセルロースナノファイバーで、どこまで強い木質系の材料を作れるか挑戦してみようと思ったことがきっかけです。 青島木質系で世界一強い材料を作ろうと思ったと。 矢野 そうです。ただ、木材の性能を見てみるとやはり限界がありまして。植物は水や養分を体中で移動させるために穴がたくさん開いているわけです。それは材料の観点から言うと欠点なんですね。それがセルロースの持つ強度を邪魔してしまう。そこで細胞をほぐしてセルロースのナノファイバーの状態にして、欠点をなくした材料を作り出したんです。すると、鋼鉄ぐらい強度のある材料ができてしまった。しかも鉄の5分の1の軽さだったんです。

製紙業界の救世主として注目される、その価値とは。

青島 そしてセルロースナノファイバーは次第に注目を集めていきます。そこにはどのような背景があったのでしょうか。 渡邉 少子高齢化やIT化によって雑誌や本の売り上げが下がり、同時に紙の需要が大きく伸び悩む中、産業政策として紙パルプ産業をこの先どう事業構造転換させるかを考えていました。そのような中、セルロースナノファイバーという切り口が期待できると思い至ったわけです。そして早い段階から注目して支援を続けていました。 青島製紙業界としては、セルロースナノファイバーの技術にいつ頃から注目されていたのでしょうか。 山崎 2000年頃から矢野先生と東京大学の磯貝明先生の所へ企業が何社か入って、一緒に基礎研究を始めておりました。当初はまだ、商業ベースに乗るセルロースのナノ化はなかなかなかったのですが、2005年辺りからナノ化技術が進んできましたので、企業も本格的に取り組む姿勢になってきたと思います。 矢野 最初に高強度材料の特許を出したのは2001年です。初めて研究費がついたのが、文部科学省科学研究費で2003年でした。近畿経済産業局の支援で、地域新生コンソーシアム研究開発事業という異分野連携のプロジェクトを始めたのが2005年です。そして、大学発事業というNEDOのプロジェクトを始めるにあたり、2004年頃からJCII(化学研究評価機構)が声を掛けてプレイヤーを集めました。そこでは、材料が川上から川下に流れるようなスキームにしようと考えました。川上に日本製紙と王子製紙という日本のツートップの製紙会社が入り、さらに中流域にはプラスチックスとセルロースナノファイバーを複合した成形体を作るために三菱化学、大日本インキ(現 DIC株式会社)、住友ゴム、という三大高分子材料を扱う会社が位置しました。これら5つの企業と京都大学と京都市産業技術研究所で異分野がつながり、開発を始めたのです。 青島 その前に、製紙会社が独自でこの技術に注目された経緯はあったのでしょうか。 山崎 企業ですからどうしても収益性を先に考えてしまうので、恐らく製紙会社だけでは実現していなかったと思います。ただ、紙の需要が減ることは分かっていましたから、その危機感から構造転換の一つの柱にすべきということは各社も考えていたはずです。 対談の様子渡邉政嘉さん 渡邉 我々も政策を議論している中で、過去に事業転換した企業はその業態が持つコアコンピタンス(核となる技術)を生かした経営多角化で成功していることを知りました。そこで製紙業のコアコンピタンスが何なのかと考え、セルロースナノファイバーに白羽の矢が立ったわけです。一方で、日本の化学産業も世界的な石油資源の枯渇という問題があり、石油資源からバイオマス資源への転換が問われていました。近い将来、製紙産業と化学産業は石油資源由来からバイオマス由来の原料を有効利用する高度バイオマス産業として統合されると考えたのです。
 この素材を使うことで、自動車、情報家電などのユーザー業界が、環境問題に積極的に対応できることも見逃せない点です。強度があり軽量化もできるので、まさに一石三鳥。さらに、山がある日本は海外に依存しなくても良い。地域からも新しい産業を生みだし得る、大変有望な技術であると考えています。

実用化のステージに合わせて、段階的にステークホルダーを巻き込む

青島 そして面白いなと思ったのは、実用化に向けたその政策的な流れですね。 渡邉 セルロースナノファイバーについては、経産省、文科省、環境省などの省庁からの支援がシームレスに行われたのは大きかったと思います。アカデミアの先生方には、非常に早い開発段階で、文部科学省の科学研究費助成事業(科研費)を通して研究のコアを作っていただき、次に社会実装に向けて経済産業省の事業がパイロット的な役割を担う。そこから、ユーザー企業が具体的な事業に展開していく。その上で、国内資源の有効活用としてセルロースナノファイバーに注目していた林野庁が参画し、さらにCO2の削減の観点から社会実装のフェーズで環境省も参画してくれたのです。
 従来、省庁間をまたぐような仕事というのは、省庁同士で作業領域が重複してしまうことがあります。今回は、先行していた経済産業省が中心となり、他省庁が独自に施策を打ち立てる前に十分な議論を行うことで役割分担を明確にし、協力・連携して進める枠組み(CNF関係省庁連絡会議)を作りました。
矢野こういった政府の流れと連動して、日本全体でルロースナノファイバーについて一つに集まれる仕組みが必要だと思いました。渡邉さんが紙パルプ産業担当の課長になられた際に、この仕組みづくりをお願いし、2016年にできたのが「セルロースCNFフォーラム」です。アカデミア、産業界、公的機関の主要なプレイヤーが集まれる会合を、広島からスタートしました。 渡邉 実はこの時、難しい壁がありました。まずはアカデミアの世界で矢野先生の京大グループと磯貝先生の東大グループは、お互い研究領域が近い反面、ライバルでもあるわけです。製紙業界では、日本製紙と王子製紙は業界1位と2位ですから、こちらもライバル同士なわけですね。また伝統的な製紙業界だけの護送船団方式ではうまくゆかないと考えました。そこで製紙業界だけのフォーラムではなく、素材を使うユーザー産業、それを支える装置産業などが業界の垣根を越えて議論できる場にしなければならないと思い、業界横断的なメンバーを積極的に招き入れたんです。

協調のつぎは競争へ。それが実用化を加速させていく。

青島 企業のビジネスとしては、どういう出口を構想されていたのでしょうか。 対談の様子山崎和文さん 山崎 強度以外の特性も高く評価されているセルロースナノファイバーは、使用用途が非常に幅広いんですね。例えば、ペンのインクにおける粘度特性、フィルムにした際の強度、透明性、耐熱性。中でも強度が非常に強いので、構造体の中でも車をターゲットにしている企業が多くあります。車で鍛えられなければ他の分野に採用されないだろう、という高い志も含めて挑戦されているのですが、車以外にもあらゆる実用化の可能性があります。  また、1つの分野で実用化に挑戦する企業が1社ではなく複数社ある現状は、採用につながりやすく好ましい状況です。課題は、やはりコストですね。 青島逆に可能性があり過ぎるようにも感じるのですが、1つの分野に集中するという考え方はあるのでしょうか。 渡邉 そこはあまり絞らず競争ですね。新素材で市場開拓するには、その出会いの場が必要です。素材を作る側の製紙業や化学メーカー、それを使う自動車産業など、あらゆる業界に集まって交流していただく。新素材のサンプルを使っていただき、その評価結果をもう一度素材メーカーに返してもらう、そしてまた改良する。新素材の実用化には、そういう早い段階でユーザー業界とキャッチボールできる場を作ることが大事なポイントです。 青島 そうすると、色々な産業で可能性が広がっていきそうですね。 矢野 例えば、化粧品の増粘剤であったり、書きやすいけど垂れ落ちしないボールペンのインクだったり、おむつの中に入れて消臭効果を高めるなど、既に商品化は始まっています。 山崎 その次は、透明性と強度、粘度特性を生かしたコーティング関係ではないでしょうか。電子材料もあると思います。 対談の様子青島矢一さん 青島 確かに、透明で強度があって熱膨張しないとなると、これは電子材料としてかなり有望ですね。プラスチックなどを使っている部分を全て置き換えられる可能性がある。 矢野 大事なことは付加価値ですよね。今までにない性質を持った材料であれば、少しお金を出してもいいかなという部分。 山崎 そうですよね。製紙業界は素材の提供をしますが、どの段階で渡すかが大事だと思います。そこを間違えるとパルプと同じように価格競争で負けてしまう。 青島 樹脂と混ぜるところがかなり重要ですよね。 山崎 構造体になった場合は大事ですね。樹脂を混ぜてある程度のところまで作るノウハウは、絶対に持ってないと意味がないと思います。 渡邉 そこで出てくるのが「京都プロセス」ですね、矢野先生。 矢野 ありがとうございます!構造用途を突破するための一番の課題は、コストだったんですね。パルプは1kg 50~80円ですが、ナノファイバーになった途端に1kg 3,000~5,000円になってしまってビジネスにならない。
そこで、パルプを化学処理して、樹脂と練っている間にパルプがほぐれてナノファイバーになり、出てくるものはナノコンポジットである、というプロセスにしたわけです。一度パルプをほぐしてナノファイバーにしてから化学処理をして樹脂に混ぜる、という工程ではなくなったのでコストを下げられた。するとユーザー企業側で、評価してみようかなという動きが増えてきたんですね。
山崎 画期的なプロセスだと思います。 矢野 完成度の高いナノ繊維から出来上がっているパルプが1kgあたり50~60円なら、まだ技術を乗せていく余地があります。その技術レベルが上がっていけば、コストをおさえながら付加価値の高い材料を作れるようにもなる。 青島 1kg で何円くらいまで下げるという目標はございますか。 渡邉 2030年には1kg 500円です。 青島 500円になったら広がりますね。 渡邉 既に世の中にあるものを代替する市場と、この素材でしか実現できない新機能を売りに出す市場と、二つのカテゴリーがありますが、前者はコスト競争なわけですね。ところが後者は、付加価値を付けて高い市場で商売できる。そこをどれだけ作り得るかが次のポイントだと思います。 矢野 加えて感じているのが、ガラパゴス化してはいけないということ。つい日本はハイパフォーマンスな新素材を作る方向に走りがちなのですが、実際はそれなりのコストで十分、市場の期待に応える性能が出せる。ガラパゴスに走ると機会損失につながりかねません。 山崎 その通りだと思います。完全ナノじゃなくても市場はあります。

セルロースナノファイバーの地域展開とグローバル戦略。

青島 順調に実用化が進んでいるセルロースナノファイバーですが、さらなる用途開発についてはどのようにお考えですか。 対談の様子 山崎 今は、特に地域がものすごく盛り上がっています。 矢野 日本中にある経済産業局がCNFフォーラムの会員に入って、一気に地域とのつながりが深くなったんですよね。 渡邉 日本で長い歴史がある製紙業は、事業転換しないと雇用を賄えないので、各地域の自治体もこの新素材に着目しています。静岡県では川勝平太知事自ら、「ふじのくにCNFフォーラム」を設立されていますし、近畿経済産業局が部素材研究会を作って、不織布と組み合わせる研究も進んでいますね。そういう地域主導で産業構造転換していく取り組みが全国的に広がっているんです。さらに、与党自民党を中心に「セルロース・ナノ・ファイバー活用推進議連」もできました。今はもう、産官学プラス政治も含めて推進しています。 青島 グローバル戦略についてはいかがですか。海外の開発状況、そして海外企業とのコラボレーションはどのように考えていますでしょうか。 山崎 北欧と北米では、セルロースナノファイバーの開発が盛んですね。最近では製紙会社が開発を進めるなど、今後日本の脅威になると感じています。一方、日本の各社メーカーを見てみると、海外でどう展開するかを考えつつある時期にきています。 渡邉 あと、環境影響への評価手法や安全性に関する考え方については、世界共通の課題です。我が国の国際標準化戦略の議論の中に北欧やカナダなどと協調しながら、共通のスタンダードとして発信していく必要があると思っています。 青島 CNFフォーラムは海外の企業が入ってくることはウェルカムなんですか。 山崎 ウェルカムです。既に北欧から1社入りました。規制が緩和され国内に法人があれば加入は可能です。 渡邉 積極的に海外パートナーと組んでグローバルマーケットを取ってゆくことも大切です。将来的には会員ステータスを国内とグローバルに分けて、ギブアンドテイクで情報を出し入れし合う国際ネットワークの核になれればいいなと思っています。

新たに見えてきたセルロースナノファイバーの課題。

対談の様子 青島 実用化に向けて数々の壁を乗り越えてきたセルロースナノファイバーですが、新たな課題はあるのでしょうか。 矢野 優れたセルロースナノファイバーの性能を最終的に商品において発現させることが難しい、ということですね。そう簡単に材料として混ざらないので、おそらく開発を進めてがっかりした企業が1000社はあると思うんです。そこをケアしないと離れていってしまう。 青島 逆に言えば、すごいノウハウを作った会社は強いわけですよね。 矢野 そうでしょうね。ただ、それだとどうしても市場が小さくなってしまう。せっかく日本は資源が豊富なので、どんどん使っていくべき未来型の材料だと思うんです。環境負荷も少なく地球の未来を考えると非常に大事な特性を持っているので、オープンイノベーションしてノウハウを伝えていったほうがいいですね。 青島 それでは、最後に一言ずつお願いできますでしょうか。 矢野 私は今、環境省のプロジェクトで自動車メーカーとセルロースナノファイバーを最大限に使用したコンセプトカーを造っています。そこでは、林業から製紙産業、化学産業、成形加工産業、自動車部材、そして自動車に組み立てる産業までを一通りにつなぐことができています。新素材は産業全体がつながらないと、市場もできていきません。これからはそういった連携が非常に大事だと思います。 山崎 このセルロースナノファイバーは魅力的な性質を数多く持つ素材なので、将来はきっと、身の回りのあらゆるものに使われていきます。バイオマスベースの素材であることを訴えながら開発を進めていけば、世の中を少しずつ良い方へ変えることができるんじゃないでしょうか。 渡邉 実用化のポイントは、早い段階でユーザー企業にどんどんと素材を出して、客先とのコミュニケーションで評価情報が得られる仕組みを作ることだと思います。後は、もう危機意識ですね。製紙業はもしかしたら10年後ないかもしれない。そういった壁に対する強い意志を持ってやるしかないですね。あと数年後に、ぜひノーベル賞を矢野先生と磯貝先生に取っていただきたい。近年のノーベル賞は社会実装しないと取れませんから、世の中の製品環境を次々と変えていってほしいですね。そしてぜひ、ノーベル賞のパーティに招待してください!!


左から青島矢一さん、矢野浩之さん、山崎和文さん、渡邉政嘉さん

京都大学生存圏研究所 生物機能材料分野 教授 ひろゆき
PROFILE
2004年より現職。2000年頃からセルロースナノファイバーを用いた材料開発を進め、IT機器や自動車、医療機器など幅広い分野で実用化に向けた研究・開発を進める。日本木材学会奨励賞、セルロース学会林治助賞、本田賞、TAPPI Nanotechnology Awardなどを受賞。
日本製紙株式会社代表取締役副社長
ナノセルロースフォーラム会長
やまさきかずふみ
PROFILE
1980年山陽国策パルプ株式会社に入社以降、紙パルプ産業のプロフェッショナルとして経歴を積み、2010年日本製紙株式会社取締役に就任。2017年より副社長。ナノセルロースフォーラムの会長も務めるなど、日本の製紙業の発展に尽力している。
新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)理事
前経済産業省製造産業局紙業服飾品課長
わたなべまさよし
PROFILE
1990年通商産業省(現 経済産業省)入省。2013年製造産業局紙業服飾品課長に就任。セルロースナノファイバー実用化に向けた仕組み作りで、中心的な役割を担う。NEDO理事として、エネルギー・地球環境問題の解決及び産業技術力の強化に取り組んでいる。
司会・進行一橋大学イノベーション研究センター教授
SciREX人材育成拠点IMPP構想責任者
あおしまいち
PROFILE
マサチューセッツ工科大学スローン経営大学院Ph.D.(経営学)を取得。専門は経営戦略論、技術経営(MOT)、新製品開発組織。2012年より一橋大学イノベーション研究センター教授に着任。第55回日経・経済図書文化賞を受賞。