患者さん-研究者-行政官 熟議を通し政策の根拠を作る-医学・医療のためのICTを用いたエビデンス創出コモンズの形成と政策への応用-

加藤和人
とうかず 大阪大学大学院医学系研究科 教授

難病患者自らが研究や政策作りに参加

 小規模で基礎的な研究から、実用化までに様々な試験が必要な医薬品、医療機器の開発まで、医学研究のありようは様々です。同じ疾患を対象としていても、関連する遺伝子の働きを調べる研究、治療効果がありそうな薬剤を探す研究、その効果を確かめる研究といった様々なアプローチがあります。こういった研究がどこを目指すのか、これまでの研究開発や関連した政策作りには患者の視点が足りていない、と加藤教授は指摘します。例えばある病気で眼や筋肉といった特定の身体の部分の働きが悪くなるとして、その病気についての研究内容を研究者と政策担当者だけで方針を決めてしまうと、身体のその部分の機能に注目した研究ばかりに注意が行くことがあります。けれども、実際には患者さんたちは、仕事ができなくなるとか、経済的に困っているとか、もっと別の生活上の問題で困っていることがあります。そして、そちらについても研究は十分に行われない、といった状況がしばしば見られるといいます。研究の専門家、政策の専門家に加え、患者という病気の専門家が話し合いながら研究開発プロジェクトを進める、そのための仕組みづくりがはじまっています。

 加藤教授は、2017年12月から「医学・医療のためのICTを用いたエビデンス創出コモンズの形成と政策への応用」という新たな研究プロジェクトを始めました。患者がICTを通して政策担当者や疾患の研究者と熟議する場を作ることで、政策作りのエビデンスとなるような知見を提供するのがゴールです。その核となるのが「RUDY JAPAN」です。「患者さんと研究者が一緒に研究を進めながら、難病・稀少疾患をかかえる患者さんの症状や日常生活に関する情報を収集し、病気の理解を進める」というコンセプトで、現在は希少な神経筋疾患など、7つの疾患を対象にしています。今後徐々に対象を広げていく予定です。

 もともとRUDYは、イギリスのオックスフォード大学が始めた希少疾患の患者参加型研究プログラムです。ICTを活用することで研究や政策への参加のハードルを下げており、本国では1800人以上が参加しています。加藤教授はこの仕組みを日本へ導入しました。「RUDY JAPAN」のホームページから登録した患者には、一人一人に専用のページが用意され、そこでアンケートに答えることで研究に参加します。また、ビデオ会議やメールを使いRUDY JAPANの運営に参加したり、医師や研究者、他の患者さんとコミュニケーションをとることができます。
「がんを始めとして多くの人がかかる病気では、『患者会』が結成され、そこで患者同士が交流しています。患者会は要望を程度取りまとめ専門家へ届けており、専門家は患者の視点を適宜参照することができました。しかし、数万〜数十万人に1人がかかるような、患者数の少ない遺伝性の難病は患者会が結成されることが少なく、結成されたとしても運営に大変苦労しておられる例がみられます。それゆえ患者さんは孤立しがちです。専門家の元にも患者さんが病気や生活でどう困っているのか、リアルな情報が集まりにくいという課題があったのです」と加藤教授は語ります。

医学と社会との接点に関心

 加藤教授は現在「医の倫理と公共政策」を専門の研究領域としていますが、もともとは分子生物学・細胞生物学を研究していました。1990年から4年間留学していたイギリスのケンブリッジ大学では、2012年にノーベル賞を受賞したJohn B.Gurdon教授の研究室で、アフリカツメガエルの筋肉形成の仕組みを研究に取り組んでいました。専門分野を大きく方向転換したきっかけをこう語ります。

 「留学生活のなかで、ヨーロッパの科学の歴史や文化に触れるうちに、『科学と社会の接点』に関心を抱くようになったのです。その中で、どんどん発展していく医学やITなどのテクノロジーに対応する国の政策が遅れがちで、追いついていないと感じていました。そこで、日本に帰ってから、科学技術と社会を結ぶ研究にシフトすることにしたのです」

 現在、加藤教授の研究室では、「医学と社会のあるべき姿」を実現するための「RUDY JAPAN」プロジェクトの他にも、世界的に注目を集めるゲノム編集技術の倫理的・法的な枠組み作りなどの研究に取り組んでいます。

世界でも始まっている医学・医療の「市民革命」

 加藤教授が「患者の視点」と政策との関係に着目した背景には、世界的に医学や医療が「専門家だけのものではない時代になってきた」ことがあります。

 「アメリカにシャロン・テリーという医学界に大きなインパクトをもたらした女性がいます。彼女は普通の主婦だったのですが、1994年に自分の2人の子どもが弾性線維性仮性黄色腫(PXE)という、難治性の遺伝子疾患であることがわかりました。当時、原因も治療法もほとんどわかっておらず、医師からもどういった治療を行えば良いか、適切な回答が得られなかったのです。そこでシャロンは、夫とともに図書館で最新の医学論文を読み込み、全米の研究者を尋ねて話を聞き、自ら研究の世界に飛び込むことで、何年もかけてついに原因遺伝子の特定に成功したのです」

 シャロンはそれまでなかったPXEの患者団体を設立し、現在はその代表を務めています。彼女の取り組みは、医療や医学研究を専門家だけに委ねるのではなく、患者やその家族が自らより良い医療、医学研究を求めて具体的に行動することの大きな意義を、医療関係者に知らしめました。

 「こうした当事者が研究に関わる動きは、アメリカだけでなく世界各国で始まっています。オランダでは、がんの研究に対して市民から『今の研究は患者の視点に立っていない』という批判の声が上がりました。その市民団体は、『がん患者にとって、日々のがんによる『痛み』の苦しさを取り除いてくれることが、何より医療に求めることだ。ところが、がんの研究者の多くは痛みに目を向けず、がんの発生原因や治療法ばかりを研究している。痛みを根本的に取り除く研究に、もっと目を向けてほしい』と主張したのです」

 RUDY JAPANプロジェクトでも、難病と日々戦っている患者さんだからこその「リアルな声」が、インターネットを通じて次々に上がっていると加藤教授は言います。

患者同士の連帯へ政策担当者を巻き込む

 「RUDY JAPANがいま対象としている病気は、全身の筋肉に影響を与えるため、力が入りにくくなる症状が出ます。オンラインの交流会を実施した際に、ある患者さんからは『バスに乗り込むときに、ステップを上がるために、前もって準備運動をしています』という話がありました。するとそれを聞いた、日本の遠く離れた場所に住む患者さんから、『まったく同じことを自分もしています』という反応が返ってきたのです」

 こうした患者同士の交流が生まれたことで、同じ病気に立ち向かう仲間がいるという連帯感が生まれ、患者からは「それまでの孤立感が大きく減じた」という声が寄せられているといいます。

 「RUDY JAPANプロジェクトを始めて何より良かったと思うのは、この研究に参加してくれた多くの患者さんの顔が輝くことです。それまで自分たちの病気に関する悩みや思いを話す場も、同じ病気と戦う人と知り合う機会もなかった患者さんにとって、『RUDY JAPAN』はまさに必要とされていた場でした。現在、運営ミーティングを定期的に行っていますが、何人もの患者さんがビデオ会議に参加し、どうすればRUDY JAPANがもっと良くなるか、活発な議論をしてくれています」

 加藤教授は今回の研究プロジェクトを通して、RUDY JAPANを通して行ってきた患者を交えた試みを個別の疾患毎に限らず、異なる疾患同士や国の医学・医療研究の政策に関わる、政府の担当者にも広げようとしています。

 「これまで日本には、医学・医療政策の担当者が患者さんと直接顔を合わせて、じっくり長期的なコミュニケーションをとれる場がありませんでした。今回のプロジェクトは、できるかぎり患者のニーズに合った医学・医療の政策を構築していく上でのエビデンスを構築する一つの手段になり得ると考えています。政府の医学研究プロジェクトの運営や実際の資金配分に携わる方も加えた「コモンズ」の運営を通して、日本の医学・医療をより『開かれたもの』に変革していくことを目指していきます。」

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