創刊記念インタビュー:SciREX事業への期待 いま、科学者に求められる政策への助言 ~ Policy for Science から Science for Policy へ ~

 情報技術の進展や人工知能、ゲノム編集といった新たな科学技術の発展が、自然や経済社会、人々の生活や生き方を大きく変化させようとしている今、科学者はどのような役割を果たしていくべきか。創刊号の発刊を記念して、SciREXセンター顧問の吉川弘之氏に、これからの科学と社会、そして政策との関係について話を伺った。

変革の時代の科学と政策

 防災、環境、医療、素材、情報など、私たちに身近な問題はすべて科学と無縁でない時代が到来し、政治、行政、産業における決定は、科学的知識なしにはできない状況となりました。特に最近、国の政策決定にも合理性が求められ、科学者の助言が必要となっています。  残念ながら我が国は、この助言制度で国際的に後れを取っています。Policy for Science と呼ばれる科学振興のための科学技術政策の立案では、すでに科学者の参加や助言が行われていますが、科学技術政策以外の、一般の政策に対する科学者の助言 Science for Policy が遅れているのです。このような政策には、緊急の課題である防災、安全保障、エネルギー、健康医療、ものづくり、イノベーションなどがあり、これらに適切な科学者の助言を欠けば、深刻な結果を招きます。

日本の科学技術政策の歩みと科学者の助言

 日本の科学技術政策は明治維新の開国時に、欧米で科学技術を学び、専門家を招聘して学び取るプロセスで始まりました。日本を近代化させ、富国強兵のための科学利用という方針は成功しましたが、その後日本は、「世界の中の日本」という立場を捨て、孤立化し、第二次大戦に突入して行きます。この過程で、科学技術政策は置き忘れられていました。第二次大戦後、その反省と、復興のために、科学と技術を見直す動きが始動したと言えます。  例えばエネルギー問題と経済成長という巨大な課題解決のため、国政は原子力エネルギーの導入に取り組みます。この際、日本学術会議の提言で「原子力平和利用三原則」を明確化し、日本の原子力行政を方向付けるなど、政府の政策決定に対する貢献という意味では大きな成果を挙げました。科学者は、社会からの信頼を受けていたのです。  ところがその後、高度成長期が始まると、この「科学者のエビデンス(客観的根拠)に基づく助言を参考にして決断する」という風潮は次第に希薄となり、政策決定には「科学よりも政治家の直感が大切」と言われる時代になりました。しかしそのころすでに、水俣病、薬害問題、カネミ油症事件など、科学が関わる事件、課題が社会に広がっていったのです。これらの問題では、科学者がもっと素早く対応し助言すべきだったのに、それができなかった。科学的助言は政治的決着の中に埋没してしまい、結果的に、科学への国民の信頼を傷つけることになったのです。

欧米諸国にみる科学と社会の連携

 1997年に、私は日本学術会議会長になり、「社会と科学の間の問題に、科学者の立場で積極的に関わって行こう」という呼びかけをしました。科学の自治は、社会から孤立することで得られるのではなく、お互いの理解と協力で作り上げてゆくものだ、という考え方で、会員の理解も広がって行きました。ところが1999年に「国際科学会議」(ICSU)に参加してみて、驚きました。欧米をはじめ多くの国々では、この社会と科学の連携を正面に据え、科学コミュニケーションの課題、さらに、国会や行政の政策決定にも、科学が積極的に協力して行くための方法論と解決策が具体的に検討され、体制作りを進めていたからです。  考えてみれば、私たちに身近なあらゆるものが、科学と関わりなしには評価・決定できなくなっているのは世界共通の状況で、欧米では、科学と社会の連携の必要性を共通理解とし、すでに現実的対応を始めていたのです。  米国には、建国以来、大統領の政策決定に科学者が参加する伝統がありますし、狂牛病(BSE)事件で政府と科学が信頼を失った英国などでは、科学者代表が首相に適切な助言を行う「政府首席科学顧問」の仕組みを強化しました。また英国議会内には、科学技術の専門家がサポートする組織もできあがっています。

科学の信頼回復と政策への助言体制確立に向けて

 こうした中で2011年、東日本大震災・福島第一原子力発電所事故が起こりました。  特に福島原発事故は、政府やメディア、市民社会が、科学者からの的確な助言を必要としていながら、その発信がなく、放射線影響の評価などをめぐり、社会的な混乱を招いた、という面で、科学と社会のコミュニケーション、そして原子力政策の大きな失敗例となってしまいました。科学者からの、それは福島事故時のようなばらばらな助言でなく、各分野の科学者の合意に基づく自立した政策助言体制が、不可欠の時代になっています。にもかかわらず日本には、この体制はもとより、科学者、行政、そして国会の意識も、科学的助言の重要性を意識しているとは言いがたい状態にあり、これが混乱の原因でした。さらに強く認識すべきことは、水俣を含む過去における貴重な体験を生かさず、再び失敗したことであって、これが現在の科学者への信頼低下の 原因であるということです。  まず多くの方々に、政治、行政、産業の意志決定には科学的知識が必要なことを、知っていただくことが大切です。同時に、首席科学顧問制度や、日本の現状を踏まえた各大臣への助言制度などの充実が緊急の課題です。2015年秋、初めて制度として外務大臣の科学技術顧問が設置され、指名されたのは画期的なことですが、このような制度を支えて活躍する若い世代の育成も、緊急の課題です。SciREX事業にはまず、この議論のプラットフォームを提供し、またコミュニケーションの結節点(HUB)としての役割を期待しています。

2016年4月/聞き手:小出重幸(日本科学技術ジャーナリスト会議会長)

よしかわひろゆき SciREXセンター顧問 ・ 科学技術振興機構特別顧問
PROFILE
工学博士。東京大学総長、日本学術会議会長、産業技術総合研究所理事長、科学技術振興機構研究開発戦略センター長などを歴任。
2015年、SciREX センター顧問に就任。