データの読み方講座06 -人材編 博士人材追跡調査

本講座では、科学技術イノベーション政策を考える基礎として、重要テーマごとに、どのようなデータがあるか、そのデータから何がいえるのか、どのような限界があるのかについて、専門家が解説する。第6回目は、「博士人材」の追跡調査データを取り上げる。

博士人材追跡調査


図1 博士課程追跡調査の対象と時期
博士人材は、知の創出をはじめ科学技術によるイノベーション活動の中核を担う人材として多様な場で活躍することが期待されている。 科学技術・学術政策研究所(以下、NISTEP)では、平成26年(2014年)から「博士人材追跡調査」を実施し、博士課程修了者のキャリアパス把握を試みている。博士課程への進学前や在籍中の状況に加え、現在の就業や研究の状況等を対象としている。
対象者は2012年度に日本の大学院博士課程を修了した「2012年コホート」と、2015年度に博士課程を修了した「2015年コホート」である。2012年コホートは博士課程修了後1年半後と3年半後の状況、2015年コホートは博士課程修了後半年後の状況について調査を行った(図1)。我が国では毎年15,000人ほどが博士課程を修了するが、どちらのコホートも大学を通じた第1回目の調査では5,000人程度の回答を得ている。また、2012年コホートの第2回目の調査では2,600人程度の回答を得ている。
2018年2月にNISTEPより「『博士人材追跡調査』第2次報告書」が公表された。報告書では博士課程への進学動機、博士課程での教育・研究経験、博士課程での経済的支援、学位取得の状況、現在の就業状況、キャリア意識、研究の状況、世帯状況、博士人材の地域間移動等についての分析結果が報告されている。2012年コホートでは博士課程修了1年半後から3年半後の変化が分かる追跡フェーズになっており、雇用状況の変化等が明らかになっている。以下ではその一例として、博士号の取得率の変化に着目した分析を紹介したい。

博士号取得/未取得の決定要因分析

「博士課程進学から学位取得までに時間がかかり、就職も不安で、結婚や出産などの家族計画がたてにくい。」、「社会人をしながらの就学は、年齢的なことと社会人であることから、学費免除や奨学金などが受けられないこともあり、経済的に厳しく辛かった。」

これは同報告書で掲載されている博士号取得に関する自由記述の一部である。博士課程学生にとって最も重要な目標である学位取得には、個々人によってさまざまなハードルがあることがうかがえる。第5期科学技術基本計画では、博士課程学生へのサポートは、優秀な学生、社会人を国内外から引き付ける上で重要な政策課題と認識されている。支援を検討するには、博士号の取得までにかかる平均的な年数や早期に取得する者とそうではない者の特徴の違いなど、学位取得に関する実態を理解することが不可欠であろう。

満期退学者を含んだ修了者の博士号取得率をみてみると、2012年コホートでは博士課程修了時は72.2%、修了1年半後は83.8%、修了3年半後にはさらに5.7ポイント増加して89.5%となっている。つまり、博士課程修了者のおよそ3/4は修了時に博士号を取得するものの、およそ1/4の修了者は博士号を未取得のまま修了しており、取得時期にばらつきがあるのが実態といえる。

<2012年コホート>

図2 博士号取得率の推移

図3 博士号取得率の推移(分野別, 2012年コホート) それでは、どのような者が博士号を早期に取得し、どのような者が未取得のままなのであろうか。博士号取得/未取得を分ける大きな要因が専攻分野だろう。専攻分野別に博士号取得率の経年変化を見ていくと、人文系、社会科学系は自然科学系と比べて博士号取得までに長い時間がかかっており、専攻分野が重要な決定要因であることを示唆している。 このように博士号取得の有無と着目している要因との関係を確認することで、どのような要因が博士号取得に対して影響していそうか示唆を得ることができる。それでは専攻分野が博士号取得に与える影響を踏まえたうえで、他にどういった要因が関係しているのだろうか。これを明らかにするためには、博士号の取得の有無を、個人属性、大学の特徴、本人の進学動機といった要因に回帰する重回帰分析というアプローチをとる。 表1は2012年コホートの博士課程修了後1年半の時点に実施された第1回調査と終了後3年半に実施された第2回調査で得られたデータを用いて、どの要因がどの程度博士号取得と関係しているか、推定結果をまとめたものである。以下では表1の結果の一部について紹介する。[1]

表1 博士号取得の有無に関する推定結果(二項ロジットモデル[2] まず性別と博士号取得との関係をみると、女性の係数は博士課程修了1.5年後では負、博士課程修了3.5年後では正となっている。このことは、女性は男性に比べて博士課程修了1.5年後に博士号を取得している確率は低い傾向にあるが、博士課程修了3.5年後には女性の方が博士号を取得している確率が高い傾向があることを意味している。ただし、統計的な有意性はなく、性別そのものが博士号取得において重要な要因とはなっていない。 一方、国籍は博士号取得と統計的に有意な関係があることがわかる。博士課程修了1.5年後では日本国籍の係数は負、3.5年後も負であるが統計的な有意性は消失している。このことは、博士課程修了1.5年後では外国籍者は日本国籍者よりも博士号を取得している確率が高い傾向があるが、博士課程修了3.5年後にはその傾向は弱まることを意味している。外国籍者の方が早期に博士号を取得する背景には、外国籍者は奨学金を得て日本に留学している者が多く、一定期間内での学位取得に対する経済的インセンティブが強く働いている可能性などが考えられる。 最後に博士課程進学の動機と博士号取得の関係についてみていく。「研究すること自体に興味があった」、「フェローシップ等が得られた」、「大学教員や研究者になるために必須だった」と回答した者は博士課程修了1.5年後の博士号の取得の確率が高い傾向がみられ、「大学教員や研究者になるために必須だった」と回答した者は博士課程修了3.5年後においてもその傾向が続いている。このことは、博士課程への進学動機が博士号取得に対して重要な意味を持つことを示唆している。 以上、推定結果の一部ではあるが博士号取得の決定要因分析の結果について概観してきた。『博士人材追跡調査』第2次報告書では2012年コホートの第2回目の調査結果が追加されたことで、関心のある事象に対して関係している要因の経年変化を確認できるようになっていることが特徴である。博士人材が社会の様々な場でその能力を発揮していく上で追跡調査が果たす役割は大きい。本稿が同調査の理解を深める一助となれば幸いである。

参考文献

  1. [1]結果の詳細は、科学技術・学術政策研究所 (2018)「『博士人材追跡調査』第2次報告書 NISTEP REPORT174 」参照。
  2. [2]あり/なしの二値で表される現象に対する解析する方法の一つ。本稿では博士号を取得/未取得を明らかにしようとしている。推定結果の読み方は、ある項目に関して推定値が正に有意であれば、その項目に該当している場合、博士号を取得する確率が統計的に有意に高いことを意味している。


左から井上敦さん、小林淑恵さん

政策研究大学院大学 科学技術イノベーション政策研究センター(SciREXセンター)専門職 井上いのうえあつし
PROFILE
政策研究大学院大学修了、修士(公共政策)。大学卒業後、民間教育機関にて学習指導に5年間従事。民間シンクタンクでの勤務を経て、2014年より現職。SciREXセンターの研究プロジェクトの企画、運営や教育データを用いた実証分析を担当。2016年度より科学技術・学術政策研究所(NISTEP)の客員研究官として「博士人材追跡調査」の分析に参加。アカデミアの知見を政策や実務とつなぎ、科学的知見をいかした実効性のある政策や取組が実現されることを目指す。
科学技術・学術政策研究所(NISTEP) 上席研究官 小林こばやし 淑恵よしえ
PROFILE
2004年 慶應義塾大学大学院 経済学研究科 博士課程 単位取得退学。慶應義塾大学 パネルデータ設計・解析センター 研究員、東洋英和女学院大学 専任講師、独)国立高等専門学校機構 特命准教授を経て、2013年から現職となり「博士人材追跡調査」を開始。
2008年 第11回日本人口学会優秀論文賞。2017年 NISTEP 所長賞。科学技術人材、及び教育分野で、大規模な公的データの活用によるエビデンスベースの政策提言を目指す。