シリーズ科学的助言Vol.3 SCIENTIFIC ADVICE FOR POLICY MAKING 地震防災分野の科学的助言
- PROFILE
- 東京大学理学部卒。東京大学大学院博士課程退学。理学博士。千葉大学理学部助教授、東京大学地震研究所助教授を経て、同教授、同地震予知研究センター長。地震調査研究推進本部地震調査委員会委員長。
我が国では、繰り返し地震災害に見舞われてきたため、その度に、法制度の整備などの防災施策が実施されてきました。当然ながら地震の発生を予測できれば、有効な対応策を実施できます。一方で、地震そのものの発生予測以外にも、揺れや災害分野の科学的な知見も防災施策に大きく貢献します。以下では、大正の関東大震災後の建物の耐震化から、最近定められた東海地震に関する新しい防災体制の方向までを概観します。
防災のための地震予知計画
我が国は、大地震に見舞われ、繰り返し大きな被害が発生してきました。このため、自然災害への防災対応の法的な制度は大きな災害の度に整備されてきました。地震学的知見を法制度に反映した最初の例としては、1924年に改正された市街地建築物法(1919年に施行)による「設計震度」の導入があげられます。これは、1923年の大正関東地震の後の対応の一つです。
また、大地震がいつ発生するかを知ることができれば、地震災害、とりわけ人的被害を軽減することができます。この考えに基づき、1964年に当時の文部省測地学審議会(現在の科学技術・学術審議会)が、文部大臣他に「地震予知の研究計画推進について」を建議し、1965年から地震予知研究計画が始められました。2013年からは、この研究が災害科学の一部であることを強調するために、「災害の軽減に貢献するための地震・火山観測研究計画の推進について」として、総務大臣、文部科学大臣、経済産業大臣、国土交通大臣に建議されています。災害軽減のための基礎研究と位置づけられた計画となりました。
地震予知と対策の歴史 ~大規模地震対策特別措置法(大震法)~
1978年の東海地震の発生の可能性の研究発表、同年の伊豆大島近海地震を受け、大規模地震対策特別措置法(略称、大震法)が成立しました。大震法は、大規模な地震の発生が予知された場合に、あらかじめ定められた地震防災計画に基づき、行政、民間が協力して地震災害を防止、軽減する応急対策を講じることが定められています。大震法に基づいて、1979年に東海地震を想定した地震防災対策強化地域が指定され、国の地震防災基本計画、地方自治体の強化計画、民間の応急計画が策定されました。これに伴って、気象庁に地震防災対策強化地域判定会(判定会)が設けられ、地震予知情報、警戒宣言などの枠組みも作られました。警戒宣言が出ると、基本計画等によって、強化地域内の鉄道運航が停止されるなどの厳しい措置が取られます。強化地域は、現在のところ東海地震で大きな影響を受ける1都7県157市町村地域が指定されています。科学的データに基づいて地震発生が防災に役立つ程度の確度で予測(地震予知)されたとき、国や自治体、民間事業者、住民が何をするかをあらかじめ定めておく必要があるという科学的な助言が防災政策に採用された最初の例です。但し、後述するようにこの地震予知が可能であるという科学的な知見は後年修正されます。
地震調査研究の普及と防災対策
1995年兵庫県南部地震を受け、地震防災対策特別措置法(1995)が制定されました。地震調査研究推進本部(以下、地震本部)の設置や地震調査委員会の根拠法です。地震本部の役割は、地震調査研究の成果を一般に広報することです。日本のどこでも大地震が発生して、災害が発生する可能性のあるという科学的な知見を一般に知らせる必要があるという科学的な助言が法制度に反映されました。この法律による防災対策は、大震法のような「地震予知に基づく厳しい対策」ではなく、「地震活動の現状評価」、「地震発生の長期評価」、「地震動の予測」などの調査研究成果の広報に基づいて、自発的な防災対策を促すことです。全国の揺れの可能性を評価する「全国地震動予測地図」を発行することを目標として掲げ、2005年にその第1版が出版されました。その後、およそ毎年改訂されています。
地震防災対策特別措置法は、同時に、全国どこでも起こりうる地震に対応するための防災対策を計画的に進めるための法律です。都道府県が「地震防災緊急事業5カ年計画」を策定することによって、公立小中学校や社会福祉施設の耐震化等に大震法・地震財特法とほぼ同様の補助率嵩上げが可能になり、2016年度から第5次の計画が推進されています。
また2007年、気象庁は、地震学の最新の知見を生かした「緊急地震速報」を始めました。この情報は、地下で起きる地震の発生そのものを予測するのではなく、地表で強い揺れが発生する前に、揺れの強さと猶予時間を予測する防災情報です。地震による強い揺れが始まる前に、走行中の列車のスピードを落とすことで、脱線事故などを減らすことができます。一般の人は、倒れてきそうな家具や書棚などの前から離れたり、丈夫な机の下に移動することで身を守ったりすることができます。地震本部が国として進めるべき地震調査研究として推進した結果が、防災施策に活用された好例です。
「規制」から「自主」へ ~南海トラフ地震評価からみる新しい防災体制~
2017年8月に、中央防災会議の専門調査会「防災対策実行会議」の下の「南海トラフ沿いの地震観測・評価に基づく防災対応検討ワーキンググループ」が報告書を防災担当大臣に提出しました。現時点の地震学の実力では、2~3日後に大地震が発生するという防災情報をだすことはできない、しかし、同時に、大地震の可能性が高まった判断できるデータが得られる可能性もあるという内容です。つまり、科学的には確度の高い予測は困難であると、大震法が依拠していた科学的前提が変わったことを、政府に助言したのです。この結果、大震法による防災体制は変更する必要があり、大震法の体制に代わる防災体制の方向性が示されました。
新しい防災体制では、これまでの大震法による体制のように、鉄道の運行停止を含むような厳しい規制を行うのではなく、地域社会の災害への対応能力に応じた自主的な対応を促すような仕組みを作る必要性が提案されました。このためには、国、地方公共団体、民間事業者、住民などの関係者の合意形成が必要で、しばらく時間がかかります。そこで、政府としての新しい防災体制ができるまでの間の暫定的な体制も決められました。
2017年11月から気象庁は新しい情報、「南海トラフ地震に関連する情報」を発表します。この情報の中で、南海トラフでの巨大地震の発生可能性が高まったとされた時には、国は「関係省庁災害警戒会議」を開催するとともに、内閣府(防災)は、国民に、今後の備えについて、日頃からの地震への備えの再確認を促す呼びかけを行います。気象庁には、新しい情報を発表するために有識者による「南海トラフ沿いの地震に関する評価検討会」が設置され、地震学的な助言を気象庁長官に行うことになりました。
まとめと今後の課題
地震発生予測に関する情報には大きな不確実性が伴います。このため、防災施策の決定には、適切な科学的助言が不可欠です。南海トラフの巨大地震への防災対策では、国民の間での認識の共有化と、具体的な防災対応策の策定が不可欠です。「実際には地震が発生しないかもしれないが、地震が起きる可能性が高まった」という知見を防災対策につなげるには、現在の科学の実力を活かし、社会全体で災害に備える必要があります。速やかに、国、地方公共団体、民間事業者、地域住民と丁寧な議論を進め、防災対策の内容について合意形成を図らなければなりません。国や科学者は、科学的な知見に基づいて、民間事業者や住民に対策を強制するのではなく、自ら判断し、命を守るための防災行動を行うことを促す新しい取り組みが必要です。
参考文献
中央防災会議 防災対策実行会議 南海トラフ沿いの地震観測・評価に基づく 防災対応検討ワーキンググループ(2017)