科学者は時代とどう向き合うのか vol.2 若手研究者の考える科学者の“今”そして“未来”

 情報技術や人工知能など世界で最先端の研究開発が急速に進む中、国際競争力を持つために日本の科学技術には今、変革が求められている。一方で、その競争力を維持しながらも、科学技術で社会の発展に資するために、科学者はどのような役割を担うべきなのか。
 自然科学の分野でフロントラインを走る4名の若き研究者に、研究のあり方、科学者の育成、科学に対する政府の役割などの幅広い観点から、科学者がこれからの時代をいかに切り開いていくべきか熱く討論いただいた。

急速に変容する社会の中、見えてきた科学の課題。

写真狩野光伸さん 狩野これまで日本社会では、戦後復興時も、バブル経済がはじけた時も、科学技術にはずっと期待されてきたかと思います。それらに比べると、今は社会からの科学技術に対する期待が下がりつつあるのではないでしょうか。
 そういう中で、まず皆さんにお伺いしたいのですが、科学者を取り巻く環境の変化について、どのように感じていますか。
岸村身近なところですと、日本は科学が強く、海外に行って学べることが激減してきている点は大きな変化だと思うんです。昔は、技術的に海外でないと学べないから留学せざるを得なかった。ところが、今は教科書ひとつとっても、多くは母語の日本語だけで勉強できてしまう。わざわざお金と時間を使って留学する学生が減るのも、仕方ないのかもしれませんね。 高瀬確かに環境は随分変わりましたよね。でも時代が変わって便利になったのに、なぜか昔に比べて生産性が上がっていない気がしませんか。 岸村それはありますね。お金と時間をかけなくても勉強できるようになった一方で、学生の学ぶモチベーションにも変化がでていますよね。せっかく海外に学びに行ったとしても、昔ほど重みのあるものになっていないのかもしれないですね。 狩野国外から概念上の用語は種々入ってくる一方で、生の対話や交流があまり入ってきていない気もしますね。例えば、若手研究者の課題について、実際に世界各国の人に会って話したことがあるのかというと、恐らくそんなにないでしょう。例えば先日、韓国の若手アカデミーが国際会合を開催した際に話を聞いたのですが、結局のところ各国の課題は「若手研究者に対するファンディングの問題」、「若手研究者の任期付き契約の問題」など、どこも同様なんですね。その際、スウェーデン若手アカデミーの設立に深くかかわった高齢の先生が、「世界中で科学に対する『評価』指標が似てきており、それは心配なことだ」という発言をしておられました。 高瀬要するに、科学者を取り巻く環境の多様性がなくなってきているんじゃないかと。 狩野そうです。ヨーロッパではまだ、芸術やアートに携わる人を科学者のコミュニティに受け入れるような余地がある。一方で、日本やシンガポールを始めとしたアジア圏では、画一的な大学ランキングに多くの注目がいってしまう。インパクトファクターがどうとか、すごく真面目なんですよ。これによっても、研究から多様性が失われていっている印象があるんです。 高瀬ファンドの話に関連して言うと、僕ら研究者にとってお金の問題は大きいなと思っていて。どこも研究費がないと研究できないですからね。僕も科学研究費(科研費)をもらっているんですけど、この国費の向こうにいるのは国民ですよね。この間の震災でも、国民の声を意識して国費をどこに投入するかが決まっている。その時に国民が「科学は役に立つものを作らなければならない」と言うとすると、僕らは役に立つものだけをやらなければいけないのか、という疑問が残る。サイエンスには本来、世界観の探求のような側面があって、それを国民の皆さんが良しとしていくのは文化的に価値高いことだと思うんですよね。

写真平田佐智子さん 平田私は科研費を取ったことがないんですけど、パイが少なくなっているのは分かるので、研究費がないんだったら、クラウドファンディングなり民間でやればいいという発想があります。一方で、企業からの資金が流れてしまうと、それは企業の色がついたお金なので、やること自体は科学なんですけど、精神的にもはや科学じゃないというか下請けになってしまう。その成果がどこに帰属するかというと、結局、企業だけのものになるんですね。そう考えると、純粋に皆さんのための研究ができる国費の存在は絶対必要だと思います。でも、どうすれば増やせるのかが分からない。 狩野競争的資金を問う時に考えたいのが、いい研究、重要な研究とは何か、という質問です。冒頭、「フロントラインを走る4名の若き研究者」と紹介されましたが、「フロントラインを走っている」と自覚されている方いますか(笑)?「フロントライン」とは何か、は科学者自身にとっても、政策担当者にとっても大きな問いですね。一例として、ノーベル賞を輩出している組織の特徴に、他人と全く異なる質問を考える雰囲気、というのが紹介されたことがあります。

科学のフロントラインとは一体?その定義が科研費にも大きく影響する。

写真岸村顕広さん 高瀬フロントラインを考える際に、そもそも科学はなぜ起こったのか、という問いがヒントになりそうです。科学はもともと西洋で起き、キリスト教圏の世界観の中で、世界の仕組みを探求することだった。そこには発見した仕組みの頑強さが重要なので、世の中に対してキャッチーであることをフロントラインに設定してはいけないと思います。 岸村本来はそうですよね。ただ、ここで難しいのは、科学は西洋圏以外にも広がっているので、文化的に共有できない部分もあるかもしれない、ということ。科学の源流は、宗教と現実をどう区別するかという、線引きの話。東洋と西洋では、そもそも科学に対する期待が違うとも考えられます。 平田『Science』や『Nature』に論文が載るとか、ノーベル賞を取るみたいなことがフロントライン。そんなイメージがありますが、結局は「いい研究って何だろう?」「研究者って何だっけ?」につながってくる気がします。 岸村ノーベル賞を取った研究ひとつ考えても、その発端となる研究は必ずしもフロントラインじゃなかったりしますよね。ある潮流を作れた人が結果フロントラインになった、ということなのかもしれない。今は価値観が多様化しすぎて、誰がフロントラインか本来は定義してはいけないし、できない。神様が決めるべき内容を人が代わりにやっているので、いろいろ問題は出てきますよね。 狩野一体何がフロントラインとして定義されるのか。それは科学に関わる全てのセクターにとても大事な質問で、研究費はどこに付けるべきなのか、ということにも関わる問いです。
 東洋と西洋の違いも興味深い。明治維新では、西洋列強に追い付くためには科学というものが必要らしい、という成果重視的な感覚で科学を輸入して、お雇い外国人に教えてもらっていた。それに対し「根本にある精神を究めるかわりに最新の成果さえ受け取れば十分と考えた」という趣旨のベルツの発言が残っています。私見では科学の根本は、自由な、好奇心、問い、思い付き、その論理的な証拠付けと思いますが、これらのどれだけが日本で実現されているでしょうか。
岸村併せて思うのは、日本は「科学」と「技術」を区別できていない人が多いのではないか。本来、科学は哲学に近いもので、技術とは目的も内容も違うはずなのに一緒にファンディングされていたりもする。そうすると国民から見れば、科学者=技術者=新しい技術を社会に還元してくれる役に立つ人、という等式が成立してしまうんですね。 狩野科学とはそもそも一体何なのか。これからの日本の社会や科学者は、科学とどういった付き合いをしていくべきなのか。今一度そこから問う必要があるのかもしれませんね。

今一度考える“科学の価値”。なぜ、私たちはサイエンスするのか?

写真高瀬堅吉さん 高瀬もともと科学には、メディチ家などのパトロンがいて、科学者達は彼らに手紙を送ってプレゼンしていたわけですよね。自分の研究はパトロンが持つ技術に役立つ、などと言って。 狩野そのパトロンが一体どういう目線で支援していたかというと、自分の名誉を買うためだった(ピーター・ディア『知識と経験の革命』(みすず書房,2012年))。これは今にも通じる視点で、ノーベル賞があれだけ取り上げられるのも、一つは国の名誉のためなのではと思うわけですよ。だから、名誉につながりやすい研究がフロントラインという設定になっている気もする。一方、名誉ではない役の立ち方が経済に資するもので、このどちらか以外のお金ってあまり動いてないかな、と。でもそこで、科学の価値って「名誉」と「お金」、本当にその二つだけなのか、という大きな疑問が湧いてきます。 高瀬つまり、僕らは科学の価値をこれからどう考えていくのか、という問題ですよね。実は、それを若手研究者はあまり考えられていない気がしています。特に自然科学系は考えないでサイエンスをやっている研究者が多いんですよ。 狩野とりあえずは、実験作業をしていれば何かしている気持ちにはなれますからね。 高瀬そうなんです、データができると論文が書けちゃう。これが非常に問題で、日本で分子生物学がなぜあんなに流行るかというと、ストーリーがなくても研究できるからですよね。 岸村日本では、アカデミアにせよ民間企業にせよ、これまで作れなかったものが作れたらそれでいい、みたいな風潮がありますしね。思想や発想の新しさを訴えることに力点が置かれてない、というか。 狩野日本は昔からシステム的思考が強くないとも言われています。システムは要素つまり点とそれらの相互作用つまり線の両立が必要です。日本は、点は強いんだけどそれらを結ぶ線を明確には考えていないのですね。点としての科学者を、つないだ線としての科学活動は一体何の役に立てていくのか、日本としても定まっていないのではないでしょうか。科学は新しい見方を確からしくする活動です。つまり今走っている何かに対して、それでは十分でない場合に別の流れを作ることによって、パラダイムシフトを起こす作業ですよね、きっと。 高瀬そのパラダイムシフトを日本人発で起こしたことって、あるんでしょうか。 狩野例えば、東北大学で、岡部らがマイクロ波発生装置マグネトロンを発明した際に、日本の専門誌は受け入れてくれなくて、アメリカで先に評価されたそうです。同時期に発明された八木・宇田アンテナも、戦時中に他の国で先に実用化されてしまった。 岸村そういう例は、他にも色々とありそうな気がします。一方で日本で発明・開発して、日本から先陣切って実用化した後に世界に広まった例よりは、ガラパゴス化した例の方がよく思いつく気もします。 狩野もう一つ日本社会で見受けられるのは、手段が目的となる人はたくさんいても、手段の結果どういう目的を追いたいのか、まで考えている人は、あまりいない気がしています。これを改善しようとするなら、心構えの問題ですから教育から仕込むべき話になってくるのですが。 高瀬僕は若手アカデミーに入って良かったなと思ったのが、何となく目線の高さが近い。だけど一方、現場でそこまで考えて研究に取り組んでいる人がいるかというと、疑問ですね。 岸村実際に僕も、周囲の研究者に対して、何のために研究するのか、今後の科学の社会における役割は?、科学の営みをどう維持する?、などについて意見聴取してみました。いわゆる研究目的については、社会の目線で語る努力をする人は多くなっていると感じました。一方で、日頃から「科学」という営み自体に問題意識を持って考えている人は少数のようで、考えてない、あるいは、わざと目をそらすか、考えるのを後回しにしている人が多いと感じます。学生に至っては、指導教員の枠組みから出てこれらを考える機会はほとんどないのではないか。 平田私自身は、学生の時は結構「何のために研究するのか」「私の研究テーマはヒトにどう貢献できるのか」と考えていたんですけども、例えば日本学術振興会の特別研究員や科研費の申請書とかで「どう役に立つのか」なんて建前だけでも書き続けていると、だんだん摩耗してきてしまうんですよね。研究者としてサバイヴしていくために、そんな考え必要ないんだって思ってしまうと、これだけギリギリの生活をしている研究者は真っ先にそんなもの捨ててしまうんじゃないか、なんて思います。 狩野そうすると、どういう性質や考え方を持った人を優先して勇気づけていきたいのですか、という話になりますね。例えば、公務員だったら国家公務員試験に受かるような人を優先しているわけです。だけど研究者は、一体どういう人を優先するのですかと。 高瀬そこで、評価をする者の基準をどこにするかというと、多分それはフロントラインにするだろうと。 狩野だからまた、科学の価値はどこにあると思うかという話になるわけですね。 岸村それで思ったのは、科学には良し悪しを判断してくれる司法みたいな存在がない。だから、社会の役に立つものがいいみたいな分かりやすい話が勝っちゃうんですね、きっと。 狩野そうなんですよね。そこで、科学の価値について自分の中で一つできたのは「新しいことを出すこと」です。それを他の人が事実ベースで納得できる出し方をする必要がある点が肝なのだと思ったのです。つまり、誰も追っていない本質的な質問や仮説を思いついたり、誰も思いつけない方法で証明できたりすることは、一つの才能のような気がするんですよ。

余裕が生み出す、科学の新たな強み。

写真 狩野例えば、社会課題に対して研究するという話も、出口を思考することに終始しがちですが、本来はどれだけ新しく興味深い問いが立てられるかだと思うんです。例えば、貧困という社会課題だと… 高瀬貧困の問題は、おそらく格差なんですよね。だから、差をなくすという点ではどちらに合わせるかという話だと思います。 狩野もう一つ考えられるのは、貨幣の一つの大きな役割は交換ですよね。誰かが交換したがるものが作れるかどうかが大きいと思っていて、貧困を交換価値の問題だと思ったら、どういう問いができるか。そういうことを問うことで、果たして、今の常識だと解けなくて先に進まない問題が、違うルートを通って解けるようになるか、あるいは、無理か。 高瀬だから自分はこういった多方向でアプローチを考えられます、という交換価値が出てくる。確かに、「研究者はもっと考えなきゃ駄目ですよ」というよりは、人間の知的好奇心が刺激される感じがしますね。 狩野その上で、科学者は社会でどういう存在であるべきなのか、という問いにつながります。 高瀬例えば、レントゲンは別に応用を意図して発見したわけじゃなくて、偶然の産物だった。僕らも日々の実験では博打をしているわけで、その先には技術提供をもくろんでいる部分がある。でも本当は、科学者は技術提供をする人ではなくて、文化をつくる人だと思っていて。文化って何かというと、余裕ですね。
 余裕があることで、実は結果的に日本が強くなる。日本が変な道にそれそうになったときに、アカデミアからの揺り戻しもあれば、あるいはなんか急なときに、実はこんな研究をしているんですという余裕が、結果的に日本を支えている部分が大いにあると思います。

クリティカルとクリエイティブ。この両方を有する科学者が未来を切り開く。

写真 高瀬昨今、科学者への信頼の在り方も重要なテーマですよね。実験は一つの証明なんですが、科学の再現性って意外と高くない。 岸村例えば、研究者AにはできてBにはできない、という実験が世の中にはあります。こういうことが起こる一つの理由として、すぐに同じレベルに到達されたら困るから、などの理由で、科学的に嘘のない範囲で論文にコツは書かなかったりするときがある。 狩野もし技術を自分の秘密にすることで金銭的価値を生む研究ならば、そこは企業でやっていただくべきかもしれないですね。一方で、皆が納得でき再現可能な知見を得るのが科学とすれば、税金で公開性を持ってオープンデータで進めていくほうがいいんじゃないかなと思います。 平田そうなんですよね。お金が絡みだすと隠す隠さないという話が出てくるので、お金が絡むところは企業にやってもらって、公益性の高いものは国費で頑張ってもらうのが理想かもしれませんね。 狩野今恐らく多くの科学者が感じている問題として、この20年間ぐらいは大学の運営費交付金 [1]が削られて、科研費などの競争的資金を増やしてきて、どうやらそれはやり過ぎたんじゃないかという話があります。日本の科学技術のこれからを語る上で避けては通れない。 高瀬みんな言っていますよね。競争的資金を取るための研究をしなければならず、余裕のある研究、すなわちチャレンジングな研究できなくなっている現状は、すごく大きな問題だと思います。 平田今のファンディングシステムが、科学者を疲弊させてしまっていますよね。 狩野ただこの危機意識は、科学ってなぜ大事なんだ、と問い直すようなきっかけになっている。それから今、例えば自分の所属先などは、大学内でも危機意識が共有されるようになってきたので、ようやく大学改革が進むという面もあります。
改革にあたり、大学の意味も問い直す必要があります。一つの提案は、多くの人が納得でき、中立的で、より正しい、新しい考えを発信できる人、つまり“thinker”(=考える人)が所属する場所です。
高瀬大学がなくなると、今の多様性を担保する“thinker”の受け皿すらなくなってしまうということですね。 狩野そして、この“thinker”の役目を担える人の、社会における割合を、増やさないといけないのではないか、とも思います。大学や教育機関におけるそうした教育の重要性です。 高瀬“thinker”が科学者ですよね。 岸村そうでないと、御用学者みたいなのがはびこってしまう。 狩野例えばアメリカではこれまで、クリティカルシンキング(批判的思考)が大事だといってきましたが、最近はクリエイティブ(創造性)でないとまずいよねっていっている。クリティカルは、先ほど出てきた証明が正しいかを吟味することだけをしていて、課題設定までは至ってないんですよ。しかし課題設定と証明吟味の両方ができる才能を育てるシステムを考えなくてはいけないと思うし、そんな科学者が今後の目指すべき価値を有するのではないでしょうか。
 では最後に、我々に続く、さらに若い研究者に向けてメッセージを。
岸村僕が言いたいのは、自分で設定したゴールを手近なところに置き過ぎていませんか、ということですね。若い世代には、小さくまとまらず(=世の中に迎合せず)チャレンジしてほしい。 高瀬とにかく、自分の研究に思想を持ってほしいですね。 平田思想も挑戦への気概も、生きるか死ぬかという瀬戸際にあっては非常に脆いものなので、「研究者として生きたい人がそのように生きていける仕組み」を大学以外にも作っていきたいし、その流れに加わってほしいです。 狩野何に対して、新しさを見い出したいのか、常に考えてみるのはどうですか、ということは私からのメッセージですね。自分の視野に簡単に入っているものだけを見るのではなくて、その世界を広げてほしい。せっかく新しいものを世に生み出す仕事を、選んだのですから。

[1]2004年に国立大学が法人化されたことを受け、基盤的経費の安定的な確保と機能強化のために国が出している補助金。平成16年度より運営費交付金はほぼ毎年減額され、減額部分を競争的資金の獲得につながるような動きが加速している。

写真
左から狩野光伸さん、平田佐智子さん、岸村顕広さん、高瀬堅吉さん

司会・進行岡山大学副理事・大学院医歯薬学総合研究科教授 みつのぶ
PROFILE
東京大学医学部卒業、大学院医学系研究科修了。聖路加国際病院で臨床、東大老年病学・分子病理学・CNBI、MD研究者育成プログラム設立等を経て、2012年より現職。専門は医工学。2011年以降日本学術会議若手アカデミー参画。2017年副理事併任、国連SDGsによる大学改革を推進。
九州大学大学院工学研究院応用化学部門准教授 きしむらあきひこ
PROFILE
東京大学工学系研究科化学生命工学専攻修了。東京大学大学院工学系研究科マテリアル工学専攻助教などを経て、2013年より現職。 分子を意のままに操り正確に集合化させる技術の開発とともに新しい機能材料の開発を進めており、最近では体内で治療や診断を行うナノシステムの開発に注力している。2017年より日本学術会議若手アカデミー代表。
株式会社エス・エム・エス/専修大学兼任講師 ひら
PROFILE
神戸大学大学院人文学研究科社会動態専攻修了。日本学術振興会特別研究員PD、明治大学研究・知財戦略機構研究推進員などを経て、2017年より現職。音象徴の成立要因やオノマトペの言語コミュニケーションにおける役割などの研究に取り組む。また、2017年より若手アカデミー 若手による学術の未来検討分科会世話人。
自治医科大学医学部/大学院医学研究科教授 たかけんきち
PROFILE
横浜市立大学大学院医学研究科医科学専攻修了。東邦大学医学部医学科解剖学講座微細形態学分野の助教などを経て、2014年より現職。トランスレータブル行動・生物指標を用いた発達段階・性別特異的行動異常の包括的研究などを行う。2017年より日本学術会議若手アカデミー幹事。