SciREX 架け橋座談会 Vol.3 若手行政官と考える変革期の科学技術イノベーション政策 [厚生労働省]持続可能な保健医療システムとイノベーション

 少子高齢化や人口減少が加速し、保健医療システムの持続性が危ぶまれるなかで、エビデンスに基づいた医療政策を行うために行政と研究の現場で共有すべきことはなにか。『保健医療2035提言書』をふまえて、重要なポイントについて若手行政官と研究者で議論を行った。

持続できない保健医療システム

森田 朗さん 森田いまの日本の国民皆保険制度は低負担・高福祉のすばらしい制度ですが、最大の欠点は持続可能ではないということです。保険と税金――税金のうちのかなりは借金――で支えられています。今後、少子高齢化や人口減少が加速しますから、社会保障や医療が大変難しい状況に直面します。議論の前に、まずは若い皆さんにこのあたりの基本認識から伺います。 藤田私は医療経済の分野を中心に研究を行っていますが、日本全体の経済がジャパン・アズ・ナンバーワンのころとは全く違っている上に、人口も減少し、社会全体が縮小しています。受け入れ難いことではありますが、今後、保健医療システムは今のままでは持続できないと思います。 笠原同じ危機意識を持っています。自己負担割合を考え直すなど、保健システム全体の見直しをやっていかないと、もう間に合わないのではないかという気がしています。一般の国民の皆さんの理解をどうやって得たらよいのかが最大の課題です。 清水その点ですが、医療を受ける国民のなかには「このままの自己負担割合では日本の財政がもたないのでは」、と矛盾を感じている人もいますし、医療従事者のなかにも医療財政全体に問題意識を持っている人が増えていると思います。ただ、それがまだ国全体のムーブメントになっていません。 森田「こんな状況ですがどうしたらいいんでしょうか」、といきなり国民のみなさんに投げかけても反応は出てこないかもしれません。そこで、合理的な根拠に基づいたシナリオA、B、Cという形で選択肢として示せれば、選挙を通して意思決定が可能になるのではないでしょうか。 清水そうですね。どちらにせよ、国民の皆さんの意見を政策に取り入れていくことが必要だと思いますが、国規模では、なかなか「自分ごと」として捉えにくいですし、地域ごとにニーズも異なりますので、やはり地域単位で進める「地域包括ケアシステム」がポイントになると思います。 森田『保健医療2035提言書※』も同様の危機意識に基づいていて、解決のための提言が書かれています。その具体策の大きな柱は2つです。1つはよりよい医療をより安く提供すべきということ、つまり「医療の効率化」です。もうひとつは保健医療を地域主体のものに再編すること、いわゆる「地域包括ケアシステム」の実現です。
 厚生労働省の皆さんは、こうしたビジョンを実現するために日々頑張っていらっしゃるわけですが、ではわれわれ研究者の側、あるいは科学技術イノベーションを担う側が、うまく役割を果たすにはどうしたらいいのか。それを考えるために、実務をやられているお二人の行政官のニーズとわれわれ研究者のシーズを出し合って、どう進められるかを明らかにしたいというのが本日の狙いです。

個人医療データの連結活用への期待

清水 真理子さん 清水私は今、医政局地域医療計画課の在宅医療推進室というところで、医療や介護が必要な状態となっても住み慣れた環境でできるだけ長く過ごせるよう、在宅医療の推進に携わっています。高齢化が進むにつれて、急性期から慢性期に医療の流れが向かいますから、在宅医療と介護の連携がこれからますます重要になるのです。 森田それぞれ別の仕組みになっていますから、繋ぐのは難しいのではないですか。 清水ええ、そのとおりです。現在、在宅医療と介護のシステムは十分に連携できていません。多くの地域ではすべて紙で情報をやりとりしていますし、地域によっては、地域医療連携ネットワークを整備する取り組みが進められていますが、地域を越えたケースや異なるネットワーク間では円滑に連携できていない状況です。
 この状況を変えるためには、現在分散している個人の医療データを繋いで活用することです。それができれば、たとえば、いつもと違う病院にかかったりしたときに、自分が改めて説明しなくてもちゃんとデータが伝えられているので、安心して医療が受けられるということにもなります。さらに、「地域包括ケア」を推進する点からも、介護事業者も加入できる地域医療連携のためのIDを位置付けることが必要だとも思っています。とにかく個人の医療データを連結活用することが必要です。
森田そうですね。さらに、個人の医療データを繋いで統合することには別の意味でのメリットがあります。「医療の効率化」です。
 政策の効率的な資源配分を決める上で、医薬品や医療機器の経済的効果を評価するプロセス(ヘルス・テクノロジー・アセスメント:HTA)は有効ですが、現在のままだとHTAはデータを集めるにも膨大なコストがかかります。そこで、もし国民IDに健康データや医療データが紐付けられるが仕組みがあれば、データが簡単に集まります。しかも、すでにたくさんの薬が使われていますが、本当はどういう人に効いているか、どういう人にあまり効果がないかということを分析できますので、効く人にだけきちっと使うことができるでしょう。
笠原財源が非常に限られてきているなかで、「医療の効率化」はますます重要です。そのときに、費用対効果についてきちんと議論できるようなデータがあれば、必要なところはどこであって、どこは優先順位が低いのかということを定量的に議論することが可能になります。個人情報保護の観点から医療経済上のリスクが訴えられていますが、逆にその手段をとらないことによるリスクについて、もう少し真剣に受け止めるべきだと思っています。 藤田ただ、個人情報を国などが統合し、管理するとなるとたしかにリスクも大きいわけですから、分散管理との組み合わせや、どういう情報をどういう立場の人間がどういう目的だったら見られるかといったルール化とアクセスログの記録など、何らかの仕組みの構築が必要ですね。 森田ここまでの皆さんの議論をまとめると、今後の保健医療システムを考えたときに、「在宅医療と介護の連携」のためにも「医療の効率化」のためにも、「個人の医療データを結びつけて統合すること」が大きなポイントということですね。具体的な方法はこれからよく検討するにしても、です。

保健医療分野で必要な科学技術イノベーション

森田さて、次に保健医療システムの改革のために、今後どのような技術が期待されるか、またそれをどのように研究することがイノベーションにつながるのか、といったことに話を進めたいと思います。 笠原その前に少しよろしいでしょうか。医療のイノベーションというと、iPS細胞の研究のようないわゆる最先端科学を想像しがちですが、先ほど議論した個人の医療データをどう活用していくかといったことも大切なイノベーションだと考えていいですね。実際、社会にいろいろな課題があって、政策的に解決するというのもイノベーションだと理解していますが…。 森田そうです。逆にいうと、例えば新しい人工臓器ができて、これまでまず助からなかった人が助かるとします。ただ、それに100億円かかると社会の変革にはなりません。こういうのも長い目で見れば一つのイノベーションかもしれませんけれども、そうではなくて、多くの人がそれによって助かるような安い薬を開発するとか、新しい薬の組み合わせを発見するのも、十分それを上回るようなイノベーションだと思います。 笠原なるほど。いま視野が広がった思いがしました。そうであれば、「非接触でデータを集める技術」、「遠隔診療」、「診断技術を持つ AI 」なんていう技術も、目前の医療のイノベーションに繋がるものだと思います。 藤田 卓仙さん 藤田そのときに、いかにいろいろな技術をうまく組み合わせられるかがポイントだというのが、遠隔医療やAIの研究に関わっていて感じることです。
 スティーブ・ジョブズがいなかったら iPhone はできなかったという意味なのですが、つまり、ビジョンを描けるような、ある種の発明家、イノベーターの発想というのがあってこそイノベーションを起こせるのではないかと思います。
森田イノベーターの発想はすごく重要だと思います。
 たとえば、地域医療計画でいえば、これからどんどん人口が減りますよね。すると、高度な機能を備えた高度急性期病院を、人口が少ないところに置くのはコストの点で困難です。そういう高度の機能を持った病院をどこかに設置し、そこから離れたところに住む人に対する医療をどうやって提供していくかというときに、遠隔医療が意味を持ってくるわけです。
 そして、専門医を集中させる一方で、実際の地域医療の現場ではいわゆる総合医の先生がいて、そのお二人が遠隔で連携しながらやっていくという仕組みを考えていかないと、質の高い医療を人口が希薄な地域でもしっかりと供給していくことは無理でしょう。
 つまり、なにを言いたいかというと、マクロ的な医療システム全体と、遠隔診療や画像診断というミクロ的な技術を組み合わせる総合的な仕組みを考える必要があるということです。
 これはなかなか医療の最前線で頑張っておられる先生や IT の専門家には難しいと思われるので、ぜひ厚生労働省で両方勉強して考えていただきたいです。
笠原 真吾さん 笠原おっしゃるとおりです。私たちの省内でも、高額な医療機器の配置や遠隔診療について、今の医療提供体制の中で、どう活用していくのかという個々の議論はもちろんやっていますが、いくつかの新しい要素を組み合わせ、パッケージとして全体像を示すというのはまだ十分でないと思います。
 これは私たち自身の課題でもありますが、文部科学省で基礎研究をやっておられる皆さんにもお願いしたいのは、10年後20年後の医療の姿というのは『保健医療2035提言書』のように、すでにいろいろなところで議論され、ある程度の将来像が存在します。
 ですから、そこに向かっていくために、「こういうふうな制度の中で、こう活かせるシーズです」、というビジョンをもって研究していただけたら、ありがたいと思います。
藤田そうですね。せっかくですので私なりの将来の医療のイメージを少しお話すると、これまでの日本の医療は医師中心であり過ぎたと思っています。医師は人件費の高い人たちで、限られた資源ですから、本当に彼らにしかできない仕事をやってもらうようにしたほうがいいと思います。本来、医療というのは医師のほかに看護師、薬剤師、検査技師、リハビリテーション職や介護の専門家等多数の専門職がいます。「地域包括ケア」となってくると、さらに地域のいろいろなスタッフ、自治体の人たちも含めてみんなでかかわる必要が出てきます。もっと多職種での連携をうまくやっていく必要があるんです。さらに、診断技術を持つ AI や、地域での共助もどんどん使っていかないとおそらく経済的にもたないでしょう。
 その連携をうまくやるためには冒頭に議論のあった個人の医療データを繋ぎ活用する可能性をはじめ、さまざまな技術がそういう実態に即した形になる必要があります。
清水私も今、在宅医療をやっているなかで、藤田先生の意見に賛成です。『保健医療2035提言書』にも述べられていますが、地域のかかりつけ医のゲートオープナー機能を設けて、それを医療の入り口として、そこからどういう医療を提供すればいいのかをサポートするという仕組みを広げていく必要があると考えています。その際、多職種との連携を強化していくことで、患者さんに合った適切なケアを円滑に提供することができ、医療の効率化にも繋がっていくと思います。結局、そういう世界を叶えてくれるアイデアや技術が、イノベーションになるのではないでしょうか。 森田そうですね。ぜひとも期待したいと思います。本日はありがとうございました。 2016年9月/取材:瀧澤美奈子(日本科学技術ジャーナリスト会議理事)

もりあきら 政策研究大学院大学客員教授 / SciREXセンタープログラムマネージャー
国立社会保障・人口問題研究所所長
PROFILE
専門は行政学、公共政策。東京大学大学院法学政治学研究科教授、厚生労働省中央社会保険医療協議会会長等歴任。
日経ビジネスオンラインにて「人口減少時代のウソ/ホント」を連載。
著作に、『会議の政治学Ⅲ 中医協の実像』など。
みず 厚生労働省医政局地域医療計画課在宅医療推進室在宅医療係
PROFILE
2012年厚生労働省入省。保険局医療課保険医療企画調査係として2014年診療報酬改定に携わる。
その後、保険局保険課健康保険組合係を経て現職。
かさはらしん 厚生労働省健康局健康課主査
PROFILE
東京都立多摩総合医療センターでの初期臨床研修後、2013年厚生労働省入省。
保険局医療課で医療技術評価、診療報酬改定等に従事し、途中さいたま市保健所への出向を経て現職。
ふじたかのり 名古屋大学大学院経済学研究科 寄附講座准教授
PROFILE
専門は、医療政策学、医事法学、医療経済学、医療情報学。
基礎医学研究、臨床医学・医療、介護・福祉、ヘルスケア産業等における情報マネジメント等に関して、学際的視点から研究を行っている。

※『保健医療2035提言書』とは、厚生労働省で開催された「保健医療2035」策定懇談会の議論を踏まえ作成された提言書。少子高齢社会を乗り越え、国民の健康増進、保健医療システムの持続可能性の確保などに向け具体的な改革を進めるための方向性を示す。2015年6月に発表。