経済産業省の約30名の年代の異なる若手行政官と菅原郁郎事務次官は、「未来戦略プロジェクト」を立ち上げ、中長期の経済社会について集中的に議論した。議論の成果は、ディスカッションペーパー『21世紀からの日本への問いかけ』としてまとめられ、産業構造審議会でも取り上げられた。プロジェクトにかかわった3人に、このようなプロジェクトを行った経緯と意義について語ってもらった。
次官と若手のシナジーで動いたプロジェクト
角南皆さんが今回発表された『21世紀からの日本への問いかけ』は、二つの視点から大変興味深いと感じています。第一に、日本をとりまく状況変化をふまえて中長期の産業構造を想定し、課題克服に向けたヒントを提示されている点です。第二に、聞くところによると事務次官と若手がざっくばらんに議論をしてまとめられたという大変ユニークな立案プロセスです。
われわれは、常日頃から科学技術政策とその立案プロセスに関心をもっておりますので、本日は、皆さんがどのように議論を進め、このディスカッションペーパーをまとめられたのかをお伺いしたくて、わざわざお越しいただきました。
それでは、まずはこのプロジェクトの趣旨と目的をご紹介いただけますか。
池田はい。このディスカッションペーパーは、私たちが将来の日本の経済社会のコンセプトをどう考えはじめているか、を提示したものです。現在、ご承知のように全世界で人工知能(AI)、情報通信技術(IoT)、ロボット、バイオテクノロジーなどがすごい勢いで社会を変えています。第4次産業革命と言われるゆえんです。
こうした大きな変化の中では、従来のように「労働投入すれば成長が牽引される」という経済発展の方程式や、製造業がベースとなり人口が増加して企業と家族の役割を重視する、いわゆる高度経済成長期を支えた戦後のモデルが通用しません。そうすると、既存の制度やシステムに対して、大きな組みかえや改革を行わなければならないわけです。
角南このような危機感は、経済産業省のなかで皆さんが共有されているのですか。
福田じつはAIについての議論は、省を挙げて「産業構造ビジョン」の検討という形でこの議論の始まる前から行っていました。IoT、AI、ロボットなどの革新技術が本格的に導入されると、工場をはじめ、さまざまな場所で無人化が加速するでしょうから、従来の成長の方程式が通用しないと思われます。では、どういう産業をつくっていかなければいけないのかという認識が、私たちの省の中で広がっておりました。
角南なるほど。数年前から下地ができていたということですね。菅原郁郎事務次官と若手が組んで、このような議論を行ったのは、なぜですか。
高木菅原次官はもともと折に触れて若手に声をかけてくださる方なのですが、議論のなかで、今の政策の延長線上では本質を突く政策が生まれないのではないか、との共通認識を持つに至り、年明けぐらいからプロジェクトが立ち上がりました。合宿も行いまして、パーカー姿のリラックスした雰囲気の次官とわれわれ若手が一緒になって、活発に議論をいたしました。
合宿で赤いパーカー姿の次官を囲んで
池田もはや短期的な業績評価にさらされることのない次官と、20年後、30年後の日本社会に向き合っていく入省10年前後の若手約30人ということで、長期的な視野を持ちながら集中的に議論を行うことができたのではないかと思います。一旦、目の前の政策から離れて、立ちどまって考えてみようという姿勢でした。
高木加えて、縦割りで足元の議論を経てできた政策は、もはや限界に来ているのではないかという認識も数年前からありました。
そこで、2050年にどういうことがメガトレンドとして起きているのか、そこからバックキャストして政策を組み立てていこうじゃないか、という議論を進めていました。将来、こういうことが起こりますよね、それにはこういうことが必要ですよね、という議論の立てつけで政策立案しませんかということです。このプロジェクトもその流れにあります。
21世紀から照らし出される産業構造と日本の強み
角南なるほど。では、内容について少しお伺いします。皆さんの予想では、将来はどういうことが起こると思われますか?
角南 篤さん
福田AIやIoTなどの技術の進展とグローバル化が、世界を「均質化」の方向に持っていく可能性が高いというのが我々の予想です。言語の壁すら、AIで越えてしまうでしょう。
そうなると、日本が独自に持てる強みは、一体何だろうかということを考えなければいけません。均質化した世界に打ち出せる差異は何かを求めた上で、では、そのためには今のうちに何をしておかなければいけないのか、という発想です。
角南その答えはあるのでしょうか。
池田日本の持つ価値観や文化、強み、優位性までさかのぼることが必要だということです。また、それらを確認した結果、日本には差異を生み出しうる潜在力があるのではないかという仮説に到達しました。
福田というのも、日本は、世界と同じ方向に変化していると同時に、日本独自の大きな変化の真っただ中にあります。たとえば高齢化がそうです。すると、案外面白いことに気づくわけです。
中国やインドなど若者が多い国では、工場にロボットやAIが入ると「若者の働く場所がなくなる」という議論になりますが、少子高齢化が進んでいる日本では、そのような恐れはなく、むしろ、ロボットやAIをどんどん受け入れなければならない状態になっているかもしれません。つまり、そういう意味で日本には新しい技術を取り込みやすい場が存在しているわけです。しかも、日本にはロボットやAIの技術がありますので、世界的にも十分に良い位置にいる可能性があるのではないか、ということです。
差異を生み出しうる「日本の価値観」とは
角南なるほど。「少子高齢化も強み」と捉えられるような発想が重要なわけですね。では、「日本の価値観」とはどんなことでしょう。「わび・さび」、「余情による意思疎通」、「職人気質」、「宗教的寛容性」、「若者発文化」などが世界に打ち出しうる差異となる可能性がある、として挙げられていますね。僕がちょっと気になるのは、「日本の価値観」、「日本人なら暗黙のうちにわかるはず」というのが嵩じて、こちらが意図しないうちに排他的な雰囲気を国民の間に醸成することにつながらないかということですが。
高木日本の価値観については、私たちの議論だけではなく、有識者にお話を伺ったり、宗教、歴史、教育、日本人論などの内外の文献をチームで分担して100冊ほど読んだりして答えを模索しました。山本七平など、日本の古層を読み解くような本も幾つか読んだのですが、日本の価値観や文化というのは、ある種、玉手箱というか、宝箱みたいなものだと感じました。
たとえば、僕らが当たり前だと思っている定年制がありますよね。「60才ぐらいで引退する」とか「高齢者は現役世代に支えられる」という社会通念ですが、じつはこれは高度経済成長時の皆保険・皆年金制度と一緒にできたものなんです。戦前や、もっと言えば江戸時代の大多数は農民ですから、高齢者も死ぬまで働いていたわけです。
そうすると、それにひもづいている価値観も時代に応じて変わってきている訳ですから、日本人が持っているさまざまな価値観は、時代時代に応じて、その都度出し入れされてきたのではなかったかと思うんです。
ですから、今後の日本人のあり方というのも、結構、自由度が高いのではないかと思っています。
角南逆に、時代が変わっても、変わらなかった価値観はありました?
高木日本人は「参加する」とか「帰属する」という価値をすごく重視します。個人で頑張っていくより、持ち場で頑張るというのが日本人の日本人像としてあるということです。ただ、それも本質的に日本人がそうなのかどうか、今回、掘り切れなかったということは正直あるんですけども。
福田 光紀さん
福田戦後の社会は、効率性が公平性と両立していたという点において、非常にいい循環を生み出していたと思います。しかし、この枠組み自体が、グローバル化や技術の進展によって大きく変わってしまう可能性があるわけです。すると、現在持っている価値観や社会通念が、だんだんミスマッチし始める。その結果、例えば、人々の居場所がなくなってきて、「参加する」、「帰属する」ということが難しくなる可能性もあるんじゃないかと危惧しています。
今後の政策立案に求められるコミュニケーション
池田 陽子さん
角南いよいよ核心なのですが、政策立案のプロセスについて伺いたいと思います。われわれのやっている SciREX 事業で重視するのは科学的に政策を進めるということです。国や行政の政策は必ずしも客観的な情報や理論的分析に基づいてすべて作られているわけではないので、それを多少でもエビデンスに基づいて作り、国民に理解されやすいものにしていこうとしているのです。
しかし、一方で、これを実現することは相当難しいとも思っています。
なぜかというと、ときには、政策は、国民の感情的なリアクションに強く引っ張られる面がありますね。これをどう考えるかという話も同時にしないと、やっぱり難しいと思います。
どこと対話をするべきなのか、この価値観は一体何なのかを判断しなくてはいけない。このようなことが、これからの政策のつくられ方を規定していくのではないかと思っているのです。
池田確かに、米国大統領選挙のトランプ現象や、英国のEU 離脱の問題といった最近の事象においては、人々のリアクションが、一面的なナショナリズムに寄っているように見えることがあります。場合によっては、宗教的なもの、文化的なものによりどころを求める動きにもつながるかもしれません。
そういったリアクションに対して、まず敏感に反応するのは政治家だと思うのですが、それに呼応する形で、我々行政はどうあるべきか、どのように政策立案を行っていくかは新たな課題だと思います。
経済成長や産業振興を担う私たちの仕事に関して申しますと、論理の積み上げはもちろん重要ですけれども、同時に、国民がもっている潜在的なパワーやその背景にある文化、価値観も理解し、ロジックと感性、その両方のバランス感覚というものも持たなければならないと思っています。
高木政策立案において、人々の価値観をどう取り込んでいくかは今後の課題です。角南先生がおっしゃるように、政策の論理と国民が感じるリアリティとの間に乖離が生じているというのは、本当にそのとおりだと思っています。
今回のペーパーの議論でも、国民の心の琴線に触れる議論、芯を食うような議論が本当にできたかが問われたと思っています。
世の中には、時代の最先端、心の琴線に触れるということ常に考えている人がいますね。秋元康さんやスタジオジブリなど、彼らはプロとして、真剣に時代に届く言葉を生み出すことや、どうやったら若者世代の琴線に触れることができるのかを常に考えています。
一方、われわれ行政は、完成されたものを、「ドン」とデリバリーするスタイルにあまりに慣れすぎていて、コミュニケーションをとりながら政策をつくることが、できていません。
政策の合意形成は昔より難しくなってきています。昔ですと、例えば支持と不支持の割合が、80対20ぐらいだったところが、今回の英国の EU 離脱問題のように、52対48といった拮抗した場合の政策的判断が必要になることがあるわけです。そのときに、やはり文化とか価値観をその都度組み入れないと、難しい政策決定をきちんとできないのではないかと思っています。
高木 聡さん
角南なるほどね。この SciREX もそうなんですが、最近、僕は、科学をやるだけでなく、コミュニケーションをやることのほうが重要ではないかと思うほどですよ。
ただ、池田さんがおっしゃったように、行政がポピュリズムに陥ってはいけないので、エビデンスと感性的なもののバランスをどうとるかが、重要になるでしょうね。
高木このプロジェクトの今後の展開としましても、経済産業省のクレジットではなく、広く在野の碩学の方々もお呼びして、オールジャパンで進める必要があると思っています。
池田というのも、歴史をさかのぼってみますと、こういう中長期ビジョンを考えるときに参考になるアプローチというのがありまして、1980年に時の大平正芳総理が、我が国の長期政策を国内外の視点を含めて検討するために「田園都市構想」というのを立ち上げられたんです。約80人の官僚と、約130人の有識者、それも後々名を残すような錚々たるメンバーが総勢約200人強で9つの分科会を回したといいます。
じつは、われわれのプロジェクトが立ち上がった初期段階から、この田園都市構想の政策立案プロセスが頭にありました。
高木それぐらいやらないと、国のコンセプトという、シンプルだけど非常に難しい命題に対して答えを出せないんだと思います。ですから今後の課題として、平場できちんと議論できる場づくりをしないといけないと思います。
福田今回、掘り切れなかった部分がいくつかあるのですが、都市と地方のあり方については、これまでの国土開発の流れを踏まえて、より幅広い人たちに入っていただいて、さらに議論する必要があると思いました。
それに限らず、このディスカッションペーパーは、今後議論をするためのコミュニケーションのツールのひとつとして使っていただけるのではないかと思っています。
角南我々も皆さんの活動を応援していきたいと思います。本日はどうもありがとうございました。
2016年7月/取材:瀧澤美奈子(日本科学技術ジャーナリスト会議理事)
- PROFILE
- 2007年経済産業省入省。メディア・コンテンツ課、技術振興課、研究開発課等に在籍。米国、オランダに留学後、現職。専門はイノベーション政策。
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- 2002年経済産業省入省。省エネ法の改正等に従事後、三重県庁勤務、米国留学。その後、生物化学産業課等を経て現職。
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- 2011年経済産業省入省。省エネルギー対策課、内閣官房IT総合戦略室等を経て現職。
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- 専門は、科学・産業技術政策論、公共政策論、科学技術と外交。コロンビア大学で政治学博士号(Ph.D.)取得。
2015年11月、内閣府参与(科学技術・イノベーション政策担当)に就任。
2016年4月より現職。